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2014年10月1日水曜日

2014年9月28日日曜日

「線の音楽」ノート4:『線の音楽』のはじまり

出典:「線の音楽」(近藤 譲 著)
    第1部「アーティキュレイション」


アーティキュレイション 第 Ⅳ 章


『線の音楽』のはじまり


2014年9月25日木曜日

「線の音楽」ノート3:プリペアド・ピアノ〜『線の音楽』

出典:「線の音楽」(近藤 譲 著)
    第1部「アーティキュレイション」

※音群(クラスター)的音楽においては、「音群(クラスター)」の連接は、連接が可能なように音群を調整する、というレベルにとどまっていた。本来、新たに分節された(取り出された、創り出された)「音群」を、調整しない形で「連接」する新しい方法論が探求されるべきであった。

※音群的音楽では、楽音の分節とその連接は分ちがたいものであり「分節=音群」として、合わせて考える必要がある。音群的音楽が突きつけたのは、「一体、どのような音から音楽が可能か」という深刻な課題であった。

2014年9月24日水曜日

「線の音楽」ノート2:クラスター音楽が突きつける課題

出典:「線の音楽」(近藤 譲 著)
    第1部「アーティキュレイション」


※第Ⅱ章で、作曲(の方法論)が「楽音の分節」+「楽音の連接」という視点で捉えられることを見た。調性音楽や十二音音楽、総音列音楽などでは「連接方法」が作曲の中心であり、楽音のグルーピングこそが連接の方法論であった。一方、偶然性の音楽においては、連接方法の欠如が聴き手による連接を促す結果を生んでいた。

2014年9月23日火曜日

「線の音楽」ノート1:調性音楽〜ジョン・ケージ

出典:「線の音楽」(近藤 譲 著)
    第1部「アーティキュレイション」


アーティキュレイション 序


>これまでにあった、音楽外(文学、美術、社会など)から音楽を考える、あるいは作曲技法から音楽の方向性を決めるという二つのアプローチは、どちらも「音楽がどのような形態であるべきか」のアプローチであり、「音がどのように音楽化され得るか」については何の議論もしていない。

2014年9月22日月曜日

「線の音楽」ノート0:紹介

これから数回にわたって、下記の本の読書メモを書いていくつもりである。この本は、現代ピアノ音楽を知りたくて、とくに日本人の作曲家の曲を探している中で、遭遇したものである。これを機会に、現代音楽(とくにピアノ音楽)を少し勉強しようと思い、読書ノートを作ることとした。

「線の音楽」(近藤 譲 著)

線の音楽.jpg Amazon の解説から
1979年、日本の現代音楽に革新をもたらした記念碑的名著、待望の復刊!
十二音音楽、総音列音楽、音群的音楽などを「イディオレクト(個人言語)」として退け、「線の音楽」へと歩を進めた作曲家の処女音楽論。
2012年にはアメリカ芸術・文学アカデミーの終身名誉会員(日本人音楽家としては武満徹に次いで2人目)に選出され、 名実ともに日本を代表する作曲家となった著者が、若き日に著したみずからの芸術のマニフェストです。



この本は下記のように4つの部分から構成されており、「線の音楽」に関する音楽論は最初の「アーティキュレイション」で述べられているので、この章の読書メモとなる。