ところが、読んでいるうちに重大なことに気づかされた。私、実は「クラシック音楽」ファンではなかったんだ!ということに…。
この本で言っている「クラシック音楽」というのは、どうもこういうもの(↓)であるらしいのだ。(勝手にまとめてますが…)
- 18世紀前半から20世紀初頭にかけてヨーロッパで作曲された名作レパートリー
- その「名作」には「かくあるべし」という暗黙の了解(型)がある
- その中心的な作曲家はバッハ、モーツァルト、ベートーヴェン
- 蘊蓄(ウンチク)や伝説に彩られた一種の「コレクション」
- 消費的な音楽(気晴らし、BGMなど)の「束の間の喜び」とは対極のもの
- 大事なのはブランド、ステータス、カリスマ(巨匠)
- 演奏そのものの評価より「名作」「名演」であるという「定評」が重要
こう見てくると、「バッハ、モーツァルト、ベートーヴェン」あたりはいいとして、私の思っていた「クラシック音楽」とはかなりズレがあるように思う。
どうも、世間一般?で言う「クラシック音楽」とは、私がときどき(悪口として)使う「古典芸能」に近いものであるようだ。
念のために言い添えると、古典芸能そのものの価値は認めるけれど、私が「クラシック音楽」に求めるものは、そういうものではない、という意味。
では、私の「クラシック音楽」に対するイメージや期待はどういうものなのか、少し考えてみた。
まず、学生の頃から交響曲などのクラシック音楽は聴いてきたけれど、現在の私はどちらかというと「(クラシック)ピアノ音楽ファン」という方が近いということ。
ピアノソロ曲を中心に、そこから発展?してピアノを含む室内楽、ピアノ協奏曲などを聴いている。協奏曲などを聴くときも、指揮者やオーケストラにはそれほどこだわっていない。もちろん、上手で、いい音を出すオーケストラでなくては困るが…。
「ピアノ音楽ファン」であることを前提に、上の「クラシック音楽」の箇条書きを参考に書いてみると…。
- 「名作レパートリー」(18世紀前半〜20世紀初頭のヨーロッパ)や「定番」のピアノ曲にこだわらない
- むしろもっと新しい音楽を知りたい(できれば現在の作曲家の)
- 「巨匠」などのカリスマピアニストより、活きのいい若手のワクワクするような演奏が聴きたい
- ウンチク・伝説・定評などより実際の「いい演奏」を聴きたい
- ピアノ音楽での「かくあるべし」(例「ショパンらしさ」)を超える演奏が聴きたい
注釈:「カリスマピアニスト」でも「神」レベルのアルゲリッチとかは別格であるが、「ワクワクさせる演奏」という点では、彼女は博物館に飾ってあるような「カリスマ巨匠」とは一線を画すピアニストだと思っている。
いずれにしても、私と「クラシック音楽」ファンとはかなり違う人種のようだ…(^^;)。
ところで、これを書きながら、昔書いた記事(↓)を思い出した。
日本のクラシック界は大きく2つに分けることができる。つまり、「ドメスティックな専門家」(国内演奏家+音楽教育者+音大生)と「音楽ファン」(国内の演奏家には見向きもせず、ベルリン・フィルやメットオペラの来日公演に一枚3万円とか6万円といったカネをはたく音楽ファン)という2種類。
で、不思議なことに、フジ子・ヘミングに対しては両者の意見は「全否定」で一致している、という話であった。
この「音楽ファン」が、つまりはこの本でいう「クラシック音楽」ファンということで、ほぼ間違いなさそうである。
いずれにしても、この本の「クラシック音楽とは」を読んで思ったのは、こういう「定義」をすること自体が、クラシック音楽を何か難しいものに思わせることになっていて、クラシック音楽の衰退を助長しているのではないか?ということ。
でも、この本の中でも示唆されているように、「クラシック音楽」関係者は、実はファンの数が増えることを望んでいないのかも知れない。
ベルリン・フィルなどの「ブランド価値」を高めて、「クラシック音楽」の敷居を上げることによって、ごく一部の人(特権階級?)が楽しめるという「ステータス」を維持する方が彼らにとって居心地がいいのかも…(^^;)?
…ということで、私にとってこの本は「反面教師」的な意味で、とても面白い本であった。いろいろと考えさせられる(ギロンしたくなるような)内容もいくつかあった。
この本は、いわゆる「クラシック音楽」という言葉の中身を概観し、音楽に対する見方の「ひとつの型」(フレームワーク)を提供している、という意味ではなかなかいい本だと思う。たくさんある「見方」のうちの一つとして…ではあるが…。
『クラシック音楽とは何か』
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