浜松国際ピアノコンクールが終わって、昨夜結果発表・表彰式があった。
個人的には、これといったお気に入りピアニストが結局は見つからず、ファイナルはそれほど興味を持てなかった。ファイナリスト6人、確かにレベルはそれなりに高いのだが、個性もあるにはあるのだが、何か今ひとつ「魅力」に欠けるのだ。まぁ、個人的な好みではあるが…。
ということで、いまさら記事に書くこともあまりないのだが、ここまでフォローしてきたので、最後の締め?ということで感想などを書いてみたい。
全体的には、コンクールの構成(課題曲など)は面白くて、とても楽しめた。とくに、書き下ろしの邦人作品をいろんな解釈・演奏で聴くことができたのはよかった。
それと、コンクールで室内楽を聴くのは初めてだったのだが、これも予想外に楽しめた。ピアニストによって同じ曲がこんなにも変わるのだ、ということを感じたし、とても魅力的な演奏もあった。聴いた中ではムーサさんが最高だと思ったが、室内楽賞を受賞したフロリアン・ミトレアくんの演奏も聴いてみようと思っている。
自由曲が多いのも面白く、知らない曲もけっこうあって楽しめた。のだが、選曲がやや偏っていたのが少し残念ではある。マティアス・キルシュネライト審査委員のインタビューでも
「なぜこんなにも、例えばシューベルトやバッハを弾くピアニストが少ないのだろう…。…ヤナーチェクもヒンデミットもいない。ピアノのレパートリーのバラエティは本当に広いものなのに、みんなが同じような派手な作品ばかり弾いていました」
というコメントがあったが同感である。
後半、私の中での「盛り上がり」がやや下がって、面白くないと感じた理由を少し考えてみた。
一つには、同じ候補者でも聴くたびにけっこう出来にばらつきがあったり、得意な曲とそうでない曲との差が大きすぎたり、なんとなく振り回された?感がある。そのピアニストのイメージがうまく捉えられないようなもどかしさを感じた。
もちろん、中には素晴らしい演奏もあって楽しめたのだが、その期待感が次のステージでは見事に裏切られたりすることが一度ならずあった。
それと、印象としては大音量が評価されたコンクールのような気もする。曲によっては、やや硬いボリュームのある音でなくては、というのはそうだと思うが、もう少し柔軟性というか、音楽性が欲しいと思った演奏も少なくなかった。
審査委員のインタビュー記事から、注文をつけているような箇所を抜き出してみると、共感する部分が多い。(もちろん、褒めている部分の方が多いのだが…)
「若いピアニストの一部は表面的な競争心を持っていて、勝つために、速くて派手な曲を選んで戦おうとする。そんな演奏を聴くと、それで何になるのだと思ってがっかりしてしまいます」(セルゲイ・ババヤン)
「クリエイティビティがもっと欲しいと感じます」(パーヴェル・ネルセシアン)
「あまり芸術的とは感じられない、エネルギー過多で激しいフォルテばかりの作品」「速すぎるとか、音が大きすぎるとかの演奏は、良くありません」(アンジェイ・ヤシンスキ)
「絶対に許せないことというのはあります。たとえば醜い音、汚い音は許せません。とくにある一定の作品については、汚い音を出すのは音楽に反する行為だと思うからです」(アンヌ・ケフェレック)
「もっと欲しいと感じているのは、ストーリーを語る演奏です。もっと勇気を出して語ってほしい」(マティアス・キルシュネライト)
「説得力があり、アーティスティックで、音楽的でなくてはいけないとは思います」(マルタ・アルゲリッチ)
とはいえ、2週間ほどピアノ音楽を楽しませてもらったし、いろいろと勉強になることもあった。入賞者もそうでない候補者も、今後の精進と活躍を期待したいと思う。(それにしても、日本人ピアニスト、もっと頑張って欲しい… →という意味の「奨励賞」だったのかな…)
そして、セルゲイ・ババヤン審査委員の次の言葉が、とても印象に残った。
「演奏を聴いていて、とても幸せな気分になるピアニストが出てきたときは、嬉しかったです」
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