出典:
『西村朗と吉松隆の クラシック大作曲家診断』
西村朗×吉松隆 学研パブリッシング 2007年
【個人的読書メモ(抜き書き)】
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吉:…BGMで流せる音楽と流せない音楽、つまり”聴き流せる音楽”と”聴かざるをえない音楽”っていうのがあるじゃない。モーツァルトは美しくて軽やかで万人がBGMとして聴き流せるけど、チャイコフスキーとかボロディンだとかは、ある種の人にとっては聴こえてきたら心が全部そっちに惹きつけられて聴き流せない。
西:《ダッタン人の踊り》がBGMで流れてきたらいたたまれないな。
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吉:…「なんでモーツァルトだけが残ったのか?」というのは音楽史の謎といっていい…
…作曲家って、当人の才能とか音楽性のほかに、まわりで寄ってたかってでっち上げる”社会的な作為”っていうのが必ずあるからね。…モーツァルトをダシにして2次収入、3次収入(※付加価値)を得る輩がどんどん増えていく。演奏家とか評論家とか研究者とか文筆家とか。
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西:メロディが綺麗なだけなら着メロでいい。でもモーツァルトは着メロではすまない。立体的に深みや妙味がある。…
吉:…クラシックの名品というのは、…いいメロディだとかいうんじゃなくて、構造がこうなってああなってるって立体的にわかることが心地いい。
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吉:オネゲルとかコルンゴルドとかは純音楽を書きつつ映画音楽をやっているよね。でも、20世紀では、もはやプロの作曲家といったら”映画音楽の作曲家”だな。それもハリウッド映画の。オーケストラの作曲をしてプロとして経済的に成り立つのは、もはやこのジャンルだけなんじゃないかな。寂しいことに。
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西:…その時代に消費されてしまった(※当時は経済的に成功したが後世に残らなかった)作品はたくさんあるし、それは最終的には作曲家の志の問題。とりあえず大衆に受けて金になるだけのものではなくて、いいものを作ろうという意識があった作曲家の中で、本当の天才のものが少し残った。これはどんな芸術分野でも同じ。…
ただしそれも今日では危なくなっている。増大するメディアからいろんなものが出てくるから、生き残るというのは非常に困難で、古典となりうる名作でも、古典となるまで待ってもらえない。
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西:…いまロッシーニの作品なんかがだんだん忘れられていっている。でも《フィデリオ》は忘れられない。ベートーヴェンの偉大な精神性のほうが、現場的なおもしろみを、娯楽性を乗り越えていくという典型だね。
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西:いまや僕には、ハリウッド映画とは逆向きに、能とかのほうがはるかに刺激的に見えている。金ではなく命がけの贅沢さという感じかな。
吉:それはハリウッド映画みたいなバブルなものに対して、アンチとしての贅沢ということ? …(でもやるとなると金がかかる)…
西:小さな舞台に世阿弥がしかけた罠にだんだんはまってくる。あの夢幻能の生死のゾーンは超えられない。…本質をついた能のすごさに気づかされる。
吉:でもあれだって、茶碗ひとつで何万両といっている中での芸事じゃない。ちょっと屈折している気もしないでもないな。
西:要するに人間の持っているイマジネーションの深部を刺激するかどうか。目の前ですごいのを見せれば、それですごいというのは表面的なもので、…
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西:…同じシューベルトでも《未完成》とか、ごく一部なんだけれど、一種特殊な感情を喚起するものを持っている音楽と、全然それを持ってない音楽とがあることに気がついた。…ボロディンの《中央アジアの草原にて》…、シベリウスの《トゥオネラの白鳥》とか《悲しきワルツ》…《フィンランディア》…。…ベートーヴェン…第7交響曲のアレグレットのところ。…モーツァルトは…ほとんど感じられない。…
…
吉:それって、音楽がわかるとかおもしろい音楽だとかいうのともちがって、まさに身体で感じるとでもいうべきものなんだろうね。
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西:まあ”わかりやすい”っていうのは、その内容があるかどうかだよね。たとえばバッハ…。何かをわからせようと思ってバッハはフーガを書いていたわけではない。チャイコフスキーはわからせようとしている。《白鳥の湖》はある情景を描いたもの。…内容が純音楽的な抽象物についてはわかる、わからないってのはないんだよね。
西:絶対音楽のある程度以上長いものだと、やっぱり曲解力、つまり曲を解する能力がなければ無理。抽象的ないしは音楽的な文脈が捉えられない。…ロマン派の長大なクラシック音楽というのは、情報をどう変化させるかというところにあるのであって、次の瞬間何が起こるかわからない。テンポは変わるは調は変わるは楽器はどんどん入れ替わる。だけど、(※バッハやポップスは…) … ベートーヴェンは…激しく変化し続けて、落ち着いて聴いていられないでしょう。
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吉:…ロックとかジャズでも同じで、ある種の完成に達して「こうでなければならない」とか「こうあるべきである」とかいい出す輩が増えはじめると、思考が硬化してあとは衰退するしかなくなる。
183〜(どこからを現代音楽という?)
西:…ドビュッシーが1894年に《牧神の午後への前奏曲》を発表した、その瞬間だと思う。…ドビュッシーが…色とか香りとか光ってものを音楽の3要素よりも上位に立たせて曲を構成させたという瞬間に、それまでの古典派の延長にあったロマン派音楽の構造的な呪縛から解放された。これは形を失った瞬間ともいえるけれどね。
西:近代と現代のどこに線引きがあるかも考えないとね。
吉:…3つの起点があると思う。ひとつ目はいま西村くんもいったように、ドビュッシーの《牧神の午後…》(1894年)による”ハーモニー”の革命。…
吉:…ふたつ目はストラヴィンスキーの《春の祭典》(1913年)が巻き起こした”リズム”の革命。…たんに強烈でフィジカルなビートを刻むというだけじゃなくて、変拍子や旋法あるいは復調なども駆使し、伝統的な音楽の形や構造を破壊したことが大きい。
西:あれはリズムや音楽構造のブロック化ともいえる。
吉:…3つ目はおなじみシェーンベルク先生の十二音音楽による”調性の解体”。この3つが現代音楽の起点。最初のふたつ…は後にジャズやロックなんかの大衆音楽的なほうに吸収合併されて、一応はさらなる進化の道を進んだといえなくもない。だけど、最後のシェーンベルクの改革は文字通りのデッド・エンド。クラシック音楽そのものを袋小路に追い込んでしまった、と僕は思う。…
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吉:あるひとがおもしろいことを言っていたんだ。「バッハは、古い音楽なんじゃなくて若い音楽」そして「現代音楽は、新しい音楽じゃなくて年老いた音楽」なんだって。つまり、クラシック音楽は進化しているのではなくて、18〜19世紀でピークを迎えて衰退しているんだという視点だね。バッハのころが少年時代、ベートーヴェンが青年時代、ワーグナーが壮年時代、そしてシェーンベルクで定年を迎えて、現代音楽でご臨終ということにでもなるかな(笑)。
208(現代音楽の日本到来!)
西:日本に現代音楽が流れ込んできた時点はすごくはっきりしている。…彼(黛敏郎)は1951年にパリに行くんだけれど、当時はヨーロッパの前衛がもっとも極端なことをやっていた時期で、ブーレーズなんかの作品も体験できた。それをあの頭のいい黛さんが…わずか1年間のあいだに当時のヨーロッパの前衛様式を全部吸収して、「これ以上学ぶことはない」と言ってすぐに帰ってきて、電子音楽から何から立ち上げてしまった。…50年代前半というのは黛さんの独壇場。
西:…それからアメリカに行った一柳(慧:とし)さんが黛さんに遅れて61年に帰ってくる。それでヨーロッパとはまったくちがった現代音楽、ジョン・ケージ一派を流入させる。これで、ジョン・ケージ・ショック、一柳ショックが起こる。…
吉:戦後10年目あたりから64年の東京オリンピック、70年の大阪万博までは、たしかに現代音楽ってある種のバブル期だったよね。
吉:…あのころはそもそも未来って”けったいなもの”だとみんな思っていたじゃない。服は奇抜な宇宙服、食事は錠剤、…だったら、音楽だって未来はものすごくけったいなものになるにちがいないと、…
西:やっぱりそういうけったいなものが出てくるパワーがないとね…いまは文化も衰弱してけったいなものが出てくるパワーすらなくなってきている。
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西:僕は思うんだけど、人間は進化しているんじゃなく劣化していると思う。少なくとも知性の部分では。芸術を鑑賞する鑑賞力とかね。たとえば日本人が100年前に使っていた言葉の半分くらいはもう使ってない。意味も分からない。そうすると、その言葉を使って表現されていたものも言葉が分からないから、どんどん縮小してくる。…