最近、ピアノの「上達」には3種類くらいあるのでは、と思い始めている。もともとは1種類だと考えていた。いや、そんなこと考えてもいなかった、というのが正しい。
上級者やプロの世界では、技術的な面で極める「ヴィルトゥオーゾ」みたいなことや、音色の豊かさ(パレットの数)や、表現力や音楽性、さらには「巨匠」と呼ばれるための要素みたいなことなど、それこそ何種類ものモノサシ(観点)があるのかも知れない。
そういう世界ではなく、素人・初心者という低次元のレベルの話でも、何種類かのモノサシがあるような気がしてきたのである。
そんなことが気になってきたのは、もう少し「上達」したいと思い始めたからだ。そして、何種類もあると、その種類の数だけ異なった種類の努力・練習方法が必要になるのでは?と思ったからなのだ。つまり、練習が大変になる…(^^;)。
1つの曲を1カ月くらいかけて練習すると、ある程度弾けるようになる。難しい箇所や、ちょっと苦労する和音とか装飾音符とかが弾けるようになる。で、あるレベルまでは「仕上げる」ことができる。
ところが、その曲が弾けるようになって、その曲の中の技術的課題がクリアできて、確かに「上達」したと言えなくもないのだが…。例えば、基本的な奏法とかタッチとかが「上達」したかと言えば、必ずしもそうではないと思うのだ。
例えば、これまで2年半ちょっとで20曲ほど練習してきた。それぞれの曲で、仕上がりの出来・不出来はあるが、少なくとも練習開始時点からみると「上達」したはずだ。
なのだが、実感として、その20曲分?ピアノが上手くなったような気がしないのだ。確かに、2年半前にベートーヴェンのソナタとかドビュッシーとか、(その中では易しいものであるにしろ)弾けるとは思っていなかった。
ということは、確実に「上達」しているはずだ。
しかし一方で、2年半前と今と比べて、音色がきれいになっただろうか? レガートとスタカートの弾き分けが上手くなっただろうか? 脱力は? 重力奏法は? …と考えると、まるで自信がない。
ここで、やはり「基本練習」が必要なのだろうか、という考えが頭をよぎってしまう。
趣味としてピアノを始めたとき、大人の効率的なピアノ練習方法を何とか見つけたいと思っていた。そして、「基本も曲の中で練習する」「ハノンなどの機械的な練習は原則としてやらない」と考えていた。
いまさら機械的反復練習だけは避けたいと思っているのだが…。やはり、少しは必要なのか?
で、3つ目の上達の種類は、何というか「演奏力」「パフォーマンス力」みたいなものである。
低次元の話で言えば、長年の課題である「ノーミスで止まらずに弾く」ということ。少し高尚な表現でいうと「音楽を音楽として成り立たせる力」みたいなこと、さらには「演出力」のようなもの。少し即物的にいうと、(私自身はまったくその気はないが)ステージに上がって人前で「演奏」をするということ。
まぁ、演奏会・発表会などで弾くかどうかは置いておくとしても、ピアノで音楽作品を演奏するのだから、「ノーミスで止まらずに弾く」プラス「(自分なりに)音楽として表現する」ことは必要なのだと思う。
問題は、そういう能力は、上の2種類の「上達」、つまり基本技術を身につけて、曲を仕上げることで、自然と達成できるものか?ということだ。どうも、そうではないように思えてきたのだ。
私自身の低次元のレベルで、この3種類を整理してみると。
① その曲を弾けるようにする
② 基本的な奏法を身につける
③ ノーミスで止まらずに弾く
私の現状を大雑把に言うと、これまでは①だけ頑張ってきた、最近になって②(とくにタッチ)も上達したいと思うようになってきた、③はとりあえず忘れたふりをしている、といった感じかな?
普通は、②が先にあって、②がある程度できてから①に移る、あるいは②の上達のための練習曲として①をやる、のかもしれない。③は「当たり前でしょ!」ということなんだろう、きっと…。
まぁ、大人になってからの趣味の素人ピアノなので、これからも基本は "Going My Way" なのだが、少しだけ欲を出して、②の基本も頑張ってみようか、と思い始めた今日この頃である ♪
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