2015年9月18日金曜日

ショパコン「有力候補」を聴いてみて

少し前に「ショパン・コンクールの海外勢有力候補」20人ほどを聴いてみて感じたことを、いくつか書いてみたい。なお、各ピアニストに対する感想は下記記事に書いた。

《ショパン・コンクール注目ピアニスト:ロシア》

《ショパン・コンクール注目ピアニスト:中国》

《ショパン・コンクール注目ピアニスト:韓国》

《ショパン・コンクール注目ピアニスト:ラトヴィアほか》


ショパンは好きな作曲家の一人ではあるが、やはり同じ曲を何度も聴くのは疲れるというか、ちょっと胸焼けに近いものを感じることもある。

ということは、最初に聴いたピアニストと最後に聴いたピアニストでは、後者がかなり不利になる可能性があるのかもしれない。数人を聴いてもそうなので、十数人の演奏を一日中聴く審査員の人たちはどうなんだろう?と思ってしまう。

ピアノ・ファンの一人としても、コンクールのやり方として「ショパンだけ」というのは、そろそろ見直した方がいいのではないか、と思う。

チャイコフスキー・コンクールも、中心にチャイコフスキーが据えられているものの、バッハやモーツァルトやラヴェルや…、いろいろな作曲家の多彩な曲が聴けるところが面白い。

観戦者としては、そのピアニストが何を選んでどうプログラムを構成するのか、といった興味や、得意な作曲家を推測したりする楽しみもある。何より、聴いていて飽きない。


それと、同じような演奏を聴いていると、どうしても個性的な演奏に耳がいく。お手本のような「上手な」演奏は、どちらかというと面白くないと感じてしまう。私の感想の中にも「優等生的だが面白くない」といった表現が出てくる。

個人的には、個性的な演奏大歓迎!ではある。ショパンなど、長年多くの演奏者によって弾き込まれてきた作品は、解釈や演奏スタイルにやや行き詰まり感があると思っている。

ルカ君(チャイコン4位のルカ・ドゥバルグ)がインタビューで語っていたこと(↓)は、聴き手としても感じているのだ。

「ショパンとリストの音楽については、我々は飽和点に達していると思います。いまや井戸は空っぽ。何か新しいものを引き出すリニューアルが求められています」


この「集団耳タコ」状態を打破する、作品から何か新しいものを汲み出すような鮮烈な演奏を聴いてみたい、というのが、ピアノ・ファンの一人としての願いでもある。


でも一方で、「登竜門」であるはずのコンクールにそこまで求めていいのか?という疑問もないではない。

前回 2010年のショパン・コンクールのあとの、小山実稚恵さんと青柳いづみこさんの対談でも、同じようなことが語られている。


小山:私はコンクールというのは、まだ完全に自分のスタイルができあがっていなくても、この場に全力を投入したいという強い気持ちを持っている人が出るものだと思っていました。

青柳:確かに、今回のコンクールではアヴデーエヴァが優勝しましたが、入賞した六人は大きな国際コンクールの入賞者も多く、よくも悪くも半プロの集団という印象でした。


まぁ、仕方ないような気もしないでもないが、今の1位2位3位とか以外に「将来有望賞」みたいなものを作るとか、何か工夫があってもいいのでは、とも思う。


今回、20人ほどの「有力候補」を聴いてみたのだが、結局「お気に入り」候補としたのは、ロシアのドミトリー・シシキンとガリーナ・チスティアコヴァ、韓国のムン・ジヨン、そしておまけで中国のティファニー・プーンという4人だけであった。

ブレハッチは好きだが、アヴデーエワはそれほど好みではなかったりするので、自分自身の感性にそれほど自信があるわけではない。

が、音楽雑誌や音楽サイトの記事も、あまりあてにならないのでは?というのが正直な感想である。業界内の事情とかもあるとは思うのだが、もう少しプラス・マイナスを客観的に伝えて貰ったほうが嬉しい。


…とたくさんのショパンを聴きながら、思わずいろんなことを考えてしまった。その中でひとつ再確認したことは、「いい演奏」かどうかの判断基準として、「聴き続けたいかどうか」というのは非常に有力である、ということだ。

アルゲリッチなんか聴いていると、終わったあとでさえ「もっと弾き続けて!」と思ってしまうのだ ♪



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