弾きたい曲と技術レベルのギャップ
このブログでも何度か選曲の悩みを書いてきたが、結局「弾きたい曲と自分の技術レベルのギャップ」がどこまでもついて回っている。まぁ、これは永遠に解消されないのだろうが、どこかで折り合い?をつけたいと思う。「妥協」ではなく「折り合い」。
とくに今回、ベートーヴェンの「悲愴」ソナタの第1楽章をやってみて、いろいろと考えるところもあった。一番の問題は「少し背伸びしすぎたかな…」ということ。
第2楽章が好きなので、これにチャレンジして何とか弾けて、その勢いで第3楽章にも取り組んだ。ちょっと無理かもしれないと思っていたのだが、これも何とか自己満足レベルまで行った。そしてしばらく時間をおいて、そろそろ第1楽章も弾けるかもしれない、というあまり根拠のない感覚だけで始めてしまったのだ。
まだ Give up! はしたくないが、ある程度速いテンポで弾かないと音楽にならない曲なので、ハードルはかなり高いと感じている。
一方で、ドビュッシーの「アラベスク第1番」や「ベルガマスク組曲のプレリュード」が自分なりに弾けたときの達成感・充実感は何ものにも代えがたいものであった。少し難しくても、弾きたい曲にチャレンジして、それが「かろうじて」というレベルであっても弾けるようになる。これもピアノを練習する喜びである。
一番いいのは、自分の実力にあったいい曲(弾きたい曲)が見つかることだ。が、それがなかなか簡単ではない。それはそれで、もう少し曲探しを続けてみたいとは思っているが…。
「ラクに弾ける感覚」を身につけるべし
ずっと気になっているのが、この「ラクに弾ける感覚」という言葉である。『からだで変わるピアノ』(宇治田かおる著、春秋社、2011年)という本に書いてあったことである。(この本はオススメですョ)
いい弾き方というのは「弾き心地」がよいことである。そのためには、「簡単な曲で手の動かし方や筋肉の使い方などを経験させて身につける練習」がもっともよい、ということが書いてあり、なるほどと思ったのだ。何度かトライしてみたが、私の場合、結局は長続きしなかった。
そして同じようなことが、最近読んだ『ピアノと向きあう』(奥 千絵子著、春秋社、2010年)という本にも書いてあった。
ブルクミュラーやチェルニーで、ピアノの弾き方(タッチの種類だけで18種類も書いてある)や音楽の表現を学びなさい。そうすれば、ベートーヴェンやシューベルトも同じように弾けるようになりますよ、という話である。(少し乱暴に抄訳しすぎかもしれないが…)
頭ではその通りだと思いつつ、少し(かなり?)ひねた年齢に達した大人の学習者としては、ブルクミュラーの「すなおな心」を心を込めて弾くことはなかなか出来ないことなのだ。(いや、心を無にして?一度やってみようか、という気持ちもないわけではないのだが…)
…と悩みは尽きないのだが、来年はもう少し自分の実力にあった曲をやりたいと思っている。もちろん、弾きたいと思えるくらいの「お気に入り」の曲で、かつ少しだけ難しいところもある(→やりがい・達成感)曲がいいのだが…。さて、そんな都合のいい曲が見つかるのだろうか?
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