よくありそうなテーマ、というか古くて新しい問題に対して、どんなことが書いてあるのか興味津々で読んだ。コンペチタ側からの意見が面白かった。
✏️コンクールの是非を巡って・その1
上の絵は私のちょっと古いスマホで表示した画面だが、面白いのでそのまま使わせてもらった…(^^;)。
この記事は、この絵にあるようにワンおばちゃんの素朴な疑問「コンクールは本当に有益か?」から始まっている。これまでにも数え切れないほど、いろんな人々から提示された「疑問」であり、おそらく答えの出ない「問題」なのだと思う。
答えは出ないだろうが、こういう疑問が提示されることでコンクールの質を上げたり、改革をしたりするきっかけとなる意味のある「疑問」でもあるのだろう。
イーゴル・カーメンツ(Igor Kamenz, 1968- ロシア)というピアニストの話が中心なのだが、その意見がちょっと新鮮でなるほどな〜と思うところもあった。
このピアニストの名前は初めて聞くのだが、1990年代の「コンクール荒らし」?のような人だったようだ。
記事によると、同じ時期にもう一人、オリヴィエ・カザルというピアニストがいて、「1990年代の国際コンクールの世界を二分したとも言える有名人で、お互いその入賞歴は優に50を超えていたライバル同士であった」そうだ。
イーゴル・カーメンツによると、国際コンクールは「戦う場所」ではなく、音楽家にとって一番大事な「人前で弾くって言う事」、つまり演奏機会の一つということらしい。
でも、コンサートをやるのは大変だし、超人気ピアニストでないかぎり、そんなにたくさんのコンサートの機会があるわけでもない。そこで彼の意見がコレ(↓)。
「コンクールにさえ出れば、人集め、チケット販売、ホールの予約やチラシの制作とか公演そのものに関することなど一切考えずに、ただひたすら演奏にだけ集中すればいいんだから、こんな素晴らしい事は無いじゃないか」
なるほど! 勝敗を気にせず、少しでも多く人前で弾くいい機会と思えば、これだけの「お膳立て」をしてくれるコンクールはありがたい存在かもしれない。
イーゴル・カーメンツの次のような考え方もとてもいいと思う。
「僕は勝ち負けを考えた事は無い。はねられたなら、審査員が僕とは感覚が違うって言うだけさ」
「人前で弾くって言う事は、聴衆に判断されるんだから、君の音楽は嫌だと言う人もいるし、中には君の演奏は素晴らしいと思ってくれる人もいる」
「人には自由があって、聴いてくれる人々が僕の演奏を好きか嫌いかは僕のコントロール出来る事じゃないんだ。みんなに好かれる演奏家なんてなんだか面白くないよ」
私のようにネットでコンクールを楽しんでいる側からすると、コンクールの一番大きな楽しみは新しくお気に入りのピアニストと出会うこと。
ファイナルが近づいてくると、興味半分に順位を予想したりもするが、別にピアニストに順位づけをしようと思っているわけではない。
だから、ピアニストにとっても聴衆にとっても、ある意味「集団お見合い」のような場、あるいはメーカーとバイヤーが集まる「商品展示会」のようなものかも知れない…(^^;)?
聴衆は新しいお気に入りピアニストを発見し、ピアニストは新しいファンを獲得する ♪
イーゴル・カーメンツはこんなこと(↓)も言っている。
「おそらく演奏家のタイプによって、コンクールは向き不向きがあるんだ。評価されなければがっくりくるようならば、別の方法を考えなきゃいけない」
それはそうだと思う。でも、評価されないでがっくりくるようなピアニストは結局生き残れないのではないかとも思う。
プロのピアニストになった後でも、評価されることもあり評価されないこともあり…というのは当然なのではないだろうか?
私個人は、アルゲリッチを評価しない人がいるなんて信じられないが、人の好みは千差万別なので…。
ちなみに、ワンおばちゃんの記事は「その1」となっている。「その2」(以降?)が楽しみになってきた…(^^)♪
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