ピアノの調子がイマイチである(思うように進歩しない…)ことを、天候のせいにするのは良くないとは思うのだが…(^^;)。
ピアノの練習自体が面白くない訳ではない。むしろ楽しい。
今年 最初にやったバッハの「平均律 第2巻 第5番 ニ長調 BWV874 のフーガ」も、いま練習しているシューベルトの「ハンガリーのメロディー」も面白い。最初に思っていたより弾けるようになって来たので、そういう意味では練習は楽しい…。
で、何がモヤモヤの原因になっているのか、少し考えてみた。
すると、意外なことに「思っていたより弾けるようになって来た」ことが関係しているような気がしてきたのだ。思ったより弾けるようにはなって来たのだけど、思うようにはなかなか弾けない…というフラストレーション?
「ハンガリーのメロディー」で言うと、左手の伴奏はもっと軽く弾きたいのに出来ない…、3度が連続するフレーズはもっとふわっと弾きたいのに出来ない…等々。
シフの演奏をお手本(少しでも近づきたい目標)にしているのがいけないのかも知れない…(^^;)。
で、そんなときすぐに考えてしまうのが「やっぱりピアノって小さい頃からの積み重ねがないとダメなのか…」という「ため息」と「諦め感」満載の思い…。
ピアノの練習を始めてしばらくしてこのブログを書くようになったのだが、その最初の記事、2013年03月19日の《実験開始》という記事にはこんなこと(↓)を書いている。
「60の手習いでどこまで弾けるようになるか?(実験)」
で、「大人ならではの効果的な練習法ってないだろうか?」と、あれこれ工夫したり頑張ったりした結果が今の状態ということ。
6年前に考えていたよりは「弾けるように」なったとも思いながらも、あちこちで「限界」を感じている、という今の状態だ。
実は、《2019年 My Piano Life の目標 ♪》の一つに「challenge:自分で限界を作らない」ということを書いている。
内容としては「これまで敬遠してきた曲にも果敢に(向こう見ずに?)挑戦する」ということ。つまり、弾けそうな曲だけでなく、弾きたいと思った曲は少々無理をしてでも、とりあえず練習してみるということ。
あらかじめ「自分で限界を作らない」ようにして、とにかくやってみること。実際に弾いてみることで見えてくることもあるに違いないのだから…。
で、今年チャレンジした 2曲は、苦手なフーガだったり、苦手なリズム感だったりしたのだが、これまでのところ比較的うまくいっていると思う。
だったら、それでいいじゃないか?…とも思うのだが、やっぱり最初に書いたモヤモヤが湧いて?出てくるのだ。
イメージしている音がなかなか出せない「もどかしさ」が…。
…といろいろ書いてみても、答えは自明のような気もする。
今さら子ども時代に戻ることもできないし、仮にできたとしてもピアノを一生懸命練習する子どもになれるかどうかも怪しいし…(^^;)。
結局のところ、スタート地点は「今」しかない訳で、この状態から少しでも自分の目標とする状態に近づくにはどうしたらいいか?ということを、自分の能力の範囲で考えやってみるしかない…ということだろう。
なので、「大人ならではの効果的な練習法ってないだろうか?」と創意工夫と四苦八苦を繰り返し、「60の手習いでどこまで弾けるようになるか?」という「実験」を続けるしかないということになりそうだ。
幸いにして、相変わらずピアノが(弾くことも聴くことも)好きだし、練習は楽しいし…。プラス思考で考えるなら、「もどかしさ」も次のステップアップのヒントと思えばいいのかも知れない。
早く春になるといいなぁ〜(^^)♪
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