2014年8月13日水曜日

雑想:音楽を表現すること と ピアノを弾く楽しみ

今朝ふと目にした光景。2つのスポンジ。外を見ながら何を想う、何を語り合っている?…わけはないのだが…。



で、話は急に音楽への連想になるのだが…。


2つの並んだスポンジから上のようなことをふと思ってしまうのは、この「情景」が何かを「表現」していて、見るものに何かを感じさせている?のだろうか?

見ている側が勝手に解釈して感じているにすぎない、とは思うのだが、私の心がふっとゆるんで一瞬ニヤッとしたことは確かなのだ。


では音楽ではどうだろう。

作曲家は、意図的に何かを表現しようとして曲を作る。その何かは、気持ちでも思想でも、あるいは単に美しい音の響きを作りたいということでもよい。演奏家は、その何かを楽譜から汲み取って、それを音として表現しようとする。聴き手はそれを聴いて感じる。

その一連の過程で、作曲家が意図したものは間違いなく伝わるのか。伝わるためには、演奏家が正しく解釈し、その「何か」が伝わるように音で表現し、かつ聴き手が「正しく」(?)感じる必要がある。


音楽で何かを(感情や気持ちを)表現するというのは、どういうことなのかを考えてしまう。

ピアノを弾くとき、私たちは何かを「表現」しようとしているのだろうか?

単純に、ピアノを弾くこと自体を楽しむことと、表現することにどれほどの違い(距離)があるのだろう。あるいは、表現を意識したときと、楽しみで弾いているときと、結果として出てくる音は違っているのだろうか?


数日前の、《「ベルガマスク:プレリュード」練習方法の悩み&近況》という記事で、「⑤どう表現したらいいのか気持ちが定まらない?」悩みを書いた。

「これまでは…自分の感じるままに表現(?)すれば、とりあえずは『自己満足』できていた…。ところが、この曲では、…ドビュッシーはここでどんな感じを表現したかったのだろうか、といったことが気になるのだ。」

ドビュッシーの「意図」が分からないとうまく弾けない(自己満足もできない)ような気がしたのだ。


それぞれの部分の音の響きは美しいので、それはそれでいい気持ちになるのだが…。曲をつなげて弾こうとすると、フレーズをどうつなげればいいのか、どう音楽の流れを作っていけばいいのかが、よく分からなくなるのだ。

それがうまくつながって流れないと、自己満足できない、弾いている「嬉しさ」が半減するような気がする。というより、気持ちがしっくりこない、落ち着かないのだ。


まぁ、それ以前にちゃんと弾けるようにならなくては、話が始まらないのだが。

ただ、下手は下手なりにピアノを弾く楽しみを味わいたいし、楽しむためにはある程度「表現」できないとだめなようなのだ。(がんばらなくっちゃ…)



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