これは、ヴァイオリンとハープ。
これは、フルート/オーボエ/クラリネット/ファゴット/ホルン/ハープというあまりない組合せ。グループの構成に合わせて編曲したのだろうか。
これらを聴いてあらためて思ったのは、ドビュッシーの曲は思ったよりメロディックであること。それとドビュッシーは、ピアノ曲を作るときにも管弦楽の響きをイメージしていたのかも知れない、ということである。もちろん管弦楽曲にもたくさんの名曲を残しているのだから当然かもしれないが。
それにしても、ヴァイオリンやフルートの奏でるメロディーがとても自然で、その楽器向けに作曲されたように聞こえたのは驚きであった。
で、自分で弾くときも、音色や音の響きを弾きわけることや、それぞれのメロディーを際立たせることを、もっと意識する必要があると再認識したのである。
もう一つ思い出したのが、昨日の記事《「ピアニストたちの祝祭」:興味深い話がたくさん》でちょっとご紹介した内田光子さんの話である。下記にもう一度引用しておく。
「しかし、…(内田光子により)展開されたのは、優れて有機的な音楽だった。小節上の区切りよりは、音楽的なフレーズ感を大切にしたアプローチ。…鋭角的なリズムの間もなく、ふわっとやさしく弾かれる。こんなに身近なウェーベルンを聴くのははじめてだった。」
思ったのは、「現代音楽」を近寄りがたくしているのは、もしかしたら曲自体の「メロディー」の貧弱さや、演奏家の「鋭角的な」弾き方かも知れない、ということである。
近現代といわれるドビュッシーやラヴェルの「現代」の香りがするリズムや響きのなかにも「メロディー」を感じることができる。そしていい演奏は、たぶん、複雑に見える音楽のなかに魅力的なメロディーライン(フレーズ)がきちんと表現されているのではないか。
内田光子さんのウェーベルンを聴いたわけではないので、はっきりとは分からないが、「音楽的なフレーズ感を大切にした」「ふわっとやさしく弾かれる」現代音楽は、もっと魅力的な音がするのではないだろうか。いや、そうであって欲しいと思う。
…などと考えながら、日本人作曲家の現代ピアノ曲をいくつか聴きなおしてみた。が、やはり音楽の作りが「鋭角なリズム」や「不協和な響き」に頼りすぎているような気がして、魅力的な「メロディー」があまり聴こえてこなかった。曲自体がそうなのか、あるいは演奏の仕方によるものなのかは分からないが…。
それはさておき、ドビュッシーの「ベルガマスク:プレリュード」、非常に苦戦している。「音色や音の響きを弾きわける」とか以前の話で、なかなか弾けないでいる。
部分的には少しずつ弾けるようになっていると思うのだが、つながらない。「アラベスク」のときと同じで、部分的にも面白いドビュッシーらしい響きがするので、そこだけで自己満足していて、音楽の流れを作れない。作れない以前に、ちゃんと感じられていないのかもしれない。まあ、暑いので集中力がイマイチ、という言い訳はしたくないのだが…。
残暑厳しい毎日ですが、お互い熱中症には気をつけて精進しませう…。
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