で、たまたま『脳科学者の母が、認知症になる』という本を読んでいて、「記憶には宣言的記憶と非宣言的記憶とがある…」というくだりを読んで、ちょっと気になったのが、認知症になってもピアノは弾けるだろうか?ということ…。
ネットで探してみると、こんな記事(↓)があって(上の写真はこの記事からお借りした「95歳のおじいちゃん」)、希望が持てそうだというのが分かった。
ただ、この人は 40年近くジャズバンドでピアノを弾いていたというピアニストなので、私みたいな、素人が数年間独学でピアノをやっただけ…とはレベルが違うのだが…。
✏️95歳、認知症のおじいちゃん 大好きなピアノの前に久しぶりに座ると・・・指先は覚えていた!
いずれにしても、これは実にハートウォーミングな話なので、よかったらどうぞ(↑)♪
もう一つ、こんな記事(↓)も見つかった。
✏️認知症になっても 二重奏で愛の調べを
こちらも、ピアノ教師を長年やっておられた方の話で、しかもご主人がチェロ愛好家で、二人の二重奏も年季がはいっているという…TV で放映された内容の記事である。
実はこの番組はたまたま TVで見ていて、これもなかなか心温まる話だった ♪
…ということで、長年プロとかそれに近い形でピアノを弾いていた人は、認知症になったとしてもそこそこ弾ける…と思っていいようだ。
で、「宣言的記憶と非宣言的記憶」の話である。記憶には長期記憶と短期記憶があるのだが、そのうち長期記憶がこの二つに分類されるそうだ。
簡単に言うと、「宣言的記憶」というのは「言葉で語れる記憶」で、「エピソード」とか「知識」「意味」などに関する記憶である。
一方「非宣言的記憶」は「言語化されない記憶」で、自転車の乗り方とか家までの帰り方とか、いわゆる体が覚えている記憶である。「手続き的記憶」とも呼ばれる。
で、ここで私が気になったのが、私自身の「暗譜」がどうなんだろう?ということ。
「暗譜」して、楽譜を見ないで弾いているとき、いちいち音符の名前(ドレミ…)とか前後の位置関係(3度ずつ上がる…)とかを思い出しているわけではないので、「宣言的記憶」ではないと思うのだが…。
でも「体が覚えている」「指が覚えている」ほどに弾き込んでいるわけでもなく…。なので、これが「非宣言的記憶」であるとは、たぶん言えないのでは?…と思ったのだ。
最初のジャズピアニストの場合、楽譜を見ないで、昔弾いた曲を「指が覚えていて」弾いているようだ。これは「非宣言的記憶」なんだと思われる。
私がもしも認知症になったとしたら、ピアノをある程度のレベルで弾くことはできるかもしれないが、何かの曲を弾くことはできないだろう。
つまり「体が覚えている」範囲の(「非宣言的記憶」にまでなっている)「ピアノを弾く」ということの内容は、私の場合かなり低レベルでしかないということなのかも…。
…とここまで書いて、ふと気がついたことがある。これって、そもそも「長期記憶」の話だったんだ…と。
認知症になってない(はずの)現在でさえ、1つの曲の練習を終わって数週間もすれば、もう「暗譜」でその曲を弾けないのが現状なのだ…。
私の「暗譜」は「短期記憶」から「長期記憶」になるほど長く練習していない、弾き込んでいない、ということのような気がしてきた…(^^;)。
まぁ、ピアノの練習自体は認知症予防に効果があるかもしれない、という意見が多いようなので、効果があると信じてピアノを続けることにしようと思う…(^^)♪
ちなみに、読んだ本はコレ(↓)。認知症になった母を、脳科学者である娘(恩蔵絢子氏)が、家族として関わると同時に脳科学者として何とか理解しようとした記録である。他にあまりない視点からの本なので、なかなか面白かった。
『脳科学者の母が、認知症になる』
恩蔵絢子 著
河出書房新社 (2018/10/17)
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2 件のコメント:
ピアノは認知症の防止になると過度の期待はしない方がいいと思います。
そうですね…、認知症そのものがまだよく分かってないようなので、何が認知症予防になるかも分かりませんよね。ただ、ピアノは指も頭も使うので、少なくとも老化防止には効果があるのではと…。まぁ、気持ちの問題ですね…(^^;)。
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