《▼バッハ平均律第1巻第6番前奏曲:バレンボイムを真似してみる…(^^;)?》
「改めて」と書いて、これまでにピアノを練習する目的とか「なぜ」とか考えたことがあったっけ?…と思って自分のブログを検索してみたが、そういう記事は見当たらない。
最初の記事《実験開始》にも、何も書いていない。
「定年で暇になったので、今年の初めからピアノの練習を始めた」「で、3ヵ月ほどやってみて、ちょっとはまりつつある」…といった感じだ。
「何のためにピアノを…」という記事は今回が初めてかも…(^^;)?
過去記事を見る限り、もともとクラシック音楽やピアノ音楽が好きで、自分でも弾けたらいいなぁ…という漠然とした思いと、家にピアノがあったのでやってみるか…という軽い気持ちで始めたものだったようだ。ボケ防止という気持ちはあったかも…(^^;)。
まぁ、趣味というのはそもそもそういうもので、好きでやりたいからやる…。そこに「目的」みたいなものは別になくてもいいのではないか?…と思う。
もちろん、「この曲が弾けるようになりたい」といった強い思い(目的)とか「人前でピアノを弾く」とか「コンクールで入賞する」とか、そういう目的のようなものを持つのは「モチベーション」という意味でもいいことだとは思う。
ただ、私の場合、なぜか人前で弾きたいとは思わないし、自分なりに弾けて「一人で悦に浸る」ことができればそれで満足なのだ…(^^)♪
「悦に浸る」(自己満足する)ためにも上達はしたいし、プロの好きな演奏のほんの一部でも真似できれば、それは本当に嬉しいと思う。だから、苦しい?練習もする。
側から見れば「何のためにそんなに練習するの?」と思われるのかも知れないが、ピアノを弾いていると楽しいのだから仕方がない…(^^;)。
で、そんなことをつらつら考えているときに「なぜ山に登るのか。そこに山があるからだ」みたいな言葉を思い出した。
山に登るのは、目の前に登りたい山があって、登ること、頂上を極めることが「したいと思う」「嬉しいと感じる」から…であって、それ以外の「目的」はないのかも知れない。
ピアノも、ピアノ(とピアノ作品)が目の前にあって、それを弾きたい、弾ける喜びを感じたいから練習する。それだけ…♪
ちなみにこの言葉、本当は「山」ではなく「前人未到のエベレスト」だったそうだ。
「なぜ、あなたはエベレストに登りたかったのか?」と問われたイギリスの登山家、ジョージ・マロリーが "Because it's there." と答えたという…。
ピアノの場合で言うと、「ピアノが弾きたい」ではなく「ゴルトベルクが弾きたい」に当たるのかな…(^^;)?
…で、いろいろ考えてみた(みようとした)が、結局のところ「趣味のピアノ」は「弾きたいから」「好きだから」ということになりそうだ。
何のためにピアノを練習するのか?弾きたいと思うピアノ曲がそこにあるから…(^^;)?
あえて言えば「自己満足」、「一人で悦に浸る」ため?
そういえば、以前書いた「モヤモヤ記事」(↓)に「悩んでますね。定年後のピアノなら、のんびりやりましょう」という温かいコメントを戴いたことがある。
まったくその通りで、これからも「のんびり」楽しむことにしたいと改めて思った ♪
ちなみに「悩んだり、モヤモヤしたり、悪戦苦闘すること」も、私にとってはピアノをやる「楽しみ」に含まれている…(^^;)。
2 件のコメント:
いつも拝見しております。ぴあのピアノさんの向上心/探究心に感服しております。
50年ぶりに5年前からピアノに再び触り始めました。
先日、モーツアルトのとあるソナタのとある楽章を譜読みしていて、
「あれ、これどこかで弾いたことある」と思い出すと、
10歳の時にピアノ辞める最後の発表会で弾いた曲でした。
やっと小学生の自分に戻れたような状態なので『なぜピアノの練習をするか?』という
高遠な問いとは全く無縁なのですが、
読ませていただいて、投稿の内容に共感しました。
「あれが弾けると気持ちいいだろうなあ」というくらいの軽い気持ちで5年続いているので、
これからもリラックスして楽しみ続けていきたいなあ、とあらためて思いました。
これからも楽しみに読ませていただきます。
Lippi さん、コメントありがとうございます ♪
私のは向上心/探究心というほどのものではないので恐縮です…(^^;)。
ただ、物好きで知りたがりの性格なので、色々と調べたり考えたりするのは好きな方です。「弾けると気持ちいいだろう」というのはその通りですね。リラックスしてのんびりと好きな曲を弾いていくのが、長続きのコツかも知れませんね。これからもよろしくお願いします ♪
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