ファジル・サイについて、レコード芸術4月号の対談を読んで感じたこと。
まず、音楽界では相当の有名人で、現在非常に精力的に活動していて、日本でもかなり知られているということ。これまでまったく知らなかったことが少し恥ずかしいくらいである。
最近のトピックスでも、(この対談によると)
- ①交響曲第3番《ユニバース》が昨年10月に初演された
- ②ライブのDVDとスタジオ録音のCDが昨年8月に発売された
- ③彼に関する本が出た
…といった感じである。
②と③については下記。
②-1 展覧会の絵LIVE [DVD]
②-2 展覧会の絵 CD
③本『ファジル・サイ ピアニスト・作曲家・世界市民』(ユルゲン・オッテン)
②のDVDとCDは、曲目は同じでライブとスタジオ録音の違いがある。ムソルグスキーの展覧会の絵、ヤナーチェクのソナタ「1905年10月1日」、プロコフィエフのピアノ・ソナタ第7番である。本人は、この3曲は関連性がとても強いと言っている。
対談の中で、ファジル・サイは最初に「DVDとCDとどちらがいいか?」という質問をしている。対談者が、両方ともそれぞれに良いといった受け答えをすると、重ねて「ライブとスタジオ録音とどちらがいいか?」という質問をしていたのが印象的であった。
彼にとっては、この二つを聴き手がどう受け止めているかを知りたかったのであろう。
それは、対談の後半の彼の発言にも、ライブへのこだわりがうかがえる。
「ホールには神様がいて、…会場の空気や人と一体となって音楽をする。私自身が求めるのは、それ(物理的なピアノ演奏)を超えたどこか遠くにあるイメージや思考なのです。ですから、私にとって音楽とはフィジカルではなく、よりメタフィジカルなものなのです。指の問題など物理的なものを超えたものだと思っています。」
この発言を読んで、彼の演奏がどこか遠くを見るような眼をしていて、ときおり手を虚空に上げる動作が分かるような気がした。
日本人の「一期一会」のような、演奏の「一回性」をとても大事にしているのだと思う。また「わび・さび」のような、目の前に見えるものの向こう側にある本質のようなものを観る、という感覚を持っているのではないか。
ファジル・サイという人は日本人に受け容れられやすいのかも知れない。音楽を「メタフィジカル」なものと断言する姿勢にも好ましいものを感じる。いずれにしても、もっと色んな曲を聴くなど「勉強」をしなくては…。
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