昨日の記事でちょっとご紹介した『音楽評論の一五〇年』(白石 美雪 著)という本、結局は全 9章のうち、3つの章(1, 9, 8:読んだ順)だけ読んで閉じることにした。
この感想メモは最終章の第9章「音楽的自我」を生きる ―吉田秀和の評論活動 に関するもの。そこから(共感しつつ)学んだのは「音楽の聴き方」だと思う。
一応、出版社の解説の一部と目次をコピペしておく。要は「日本の西洋クラシック音楽評論の歴史」に関する本と言っていいのだと思う。
出典✏️音楽評論の一五〇年 福地桜痴から吉田秀和まで(音楽之友社)
「気鋭の音楽学者である著者が『私はなぜ音楽評論を書くのか』という自身への問いを根源として、歴史的事象を読み解きながら音楽評論そのものを客観的に探究する。 … 日本の近代150年のスパンで音楽評論とは何かを問う渾身の一冊」
章立ては下記。
- 「音楽がわからない」音楽評論家―福地桜痴と『東京日日新聞』
- 学校音楽に期待をかける『音楽雑誌』―四竈訥治の時代
- 「一私人の一私言」を超える演奏批評 ―一八九八年(明治三一年)の『読売新聞』から
- 楽壇の画期としての同人雑誌─『音楽と文学』とその周辺
- 音楽評論家の社会的認知と音楽著作権―昭和初期の批評のすがた
- 「近代の超克」と大東亜共栄圏 ―総力戦体制下の洋楽と音楽雑誌の統廃合
- アカデミズムとジャーナリズム ―東京帝国大学美学美術史学科から東京芸術大学楽理科開設へ
- 「健全な聴取者」というヒューマニズム ―遠山一行の音楽評論
- 「音楽的自我」を生きる ―吉田秀和の評論活動
まず、吉田秀和が音楽評論(批評)に対する考え方を述べている部分。
当時の「批評」に対する苦言らしきことを述べている。
「(批評は)お人よしの助言であってはならない」「解説か報道が、批評にとって代わりつつある」
まったく同感である。最近では「解説か報道」どころか「広告宣伝」になり下がった「批評」も多く見られるような気がする。
そして「批評」に関してかなり強い言葉で語っている。本人の矜持を感じる。
「批評とは、芸術作品に、知的分析を加えた末、まっすぐに出てくる実験報告では、全く、ないのだ。それは、もっと、くるしい営みであり、讃嘆と罵倒と格闘の結果、つかみだされた苦々しい結論だ」
「音楽評論や批評は、当面の対象として、すでにいったん『創造された』作曲や演奏をとりあげているのではあるけれども、それをあつかうのは、私たちの手ではなくて、私たちの知性と感性と意志の総合された営みだ。私たちの経験の現実といってもいい。それを、客観化する時の思想の動きが表現をうむ」
「知性と感性と意志の総合された営み」というのは、我々が音楽を聴くときの姿勢にも当てはまるのではないかと思う。
ちなみに、この本の著者が上記のような評論を実践した人物として挙げているのは、シューマン、ドビュッシー、サント・ブーヴ、ボードレール、クラウス、ルカーチ、T.S.エリオット、小林秀雄、河上徹太郎。知らない名前も何人か…(^^;)。
そういえば、以前ドビュッシーの評論集を読んだことを思い出した。
文芸評論家の篠田一士氏が、以下のように書いている。
「…レコードをまえにしたときの吉田氏の聴覚の奥底には、哲学者のいう tabula rasa が広がっている。 … 一切の予断は払いのけられている。音楽がきこえだした瞬間、吉田氏の内面ははじめて、そして、きわめて強烈な行動を開始し、音楽の動きに従って、目にもあざやかなフィギュレーションがえがきだされる」
著者の白石美雪氏は次のように解説している。
「吉田はできるだけ、演奏家たちが何をどう表現しようとしているのかという点を、音楽に添って感受し、それと格闘を始める。…この作品はこのように演奏されるべきといった予断に基づいて評価しないところに、吉田の評論の説得力があると感じる」
「…単なる無垢に戻るということではなく、あくまで数々の作品の楽譜を読み、数々の演奏を聴いてきた体験と、新しい作品や演奏を評価する基準を連動させないこと…」
「予断に基づいて評価しない」ことが重要なのだと思う。もしかすると、この作品あるいは演奏で、これまでになかったものが現出し感受できるかも知れないのだから…。
*
それから、虚心坦懐に音楽に接し、音楽と「格闘」する聴き手は「絶え間なく変転する音楽的自我」であることも大事なことだと思う。
これまでの経験や知識によって確立した自我はあってしかるべきなのだが、その自我は自由に「変転」する柔軟性を持っていなければならないはずだ。
吉田秀和のそういう自我を筆者は次のように表現している。
「音楽を聴くことで初めて自我を意識する人生だ。音楽と関わることで初めて存在しうる自我とは、まさに吉田の生まれながらの姿であった」
「音を聴く、画布を眺める、その行為の唯中から言葉を紡ぐ。『急いではいけない』『少しそばに寄ってみよう』『先まわりするのはやめよう』と、観念の遊びへと走る自らの筆を戒めながら、耳と眼で捉える生々しい感覚へと、何度となく立ちもどる…」
上の引用に出てくる『急いではいけない』『少しそばに寄ってみよう』『先まわりするのはやめよう』という言葉は、非常に分かりやすいので覚えておきたいと思った ♪
この本は、私にとって第 9章だけで十分に価値のあるものだった。欲を言えば、『音楽評論の新たな展開 − 吉田秀和から現代』みたいな本も書いて戴ければと思う ♪
久しぶりに吉田秀和さんの本を読みたくなって(…といってもそんなに読んでいる訳ではないが…(^^;)…)、さっそく図書館で 2冊ほど(↓)予約してしまった。
📗たとえ世界が不条理だったとしても(朝日新聞出版)
📗永遠の故郷 ― 夜(集英社)
1冊目は「全集以後の全てを収めた唯一の本」と書いてあったのと、タイトルが気になったので…。朝日新聞に連載された「新・音楽展望」の 2000〜2004年分。
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