副題は「聴く型と趣味を語る言葉 」となっている。
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1.音楽は言葉で語れるか
著者は、「音楽は言語を超えていると同時に言語的な営為である」「音楽の少なからざる部分は語ることが可能である。それどころか、語らずして音楽は出来ない」と主張する。
ただし、「音楽は言葉では語れない」という立場をとる人がいる…とも書いてある。
※個人的には音楽を言葉で説明するのは苦手である。好きなピアノの演奏を聴いて、そのよさを言葉で説明するのはけっこう難しい。しかし、だからといって、音楽は聴いて快適であればいいじゃん、とは思わない。いいと思う音楽には、生理的快感以上のものがあると思う。
2.「わざ言語」
生田久美子氏の『「わざ」から知る』という本には次のようなことが書いてある。
日本舞踊の指導は「もっと手を上げて」(物理的・数値的)ではなく「天から舞い降りる雪を受けるように」といった表現を使う(より正確だから?)。これが「わざ言語」。
音楽用語はもともと「わざ言語」が多い。
例えば、「スタッカート」は「はがす・ちぎる」(staccare)からきている。ツェルニーの「演奏について」という本における強弱の定義は次のようになっている。
ピアニッシモ=謎めいた神秘的な性格、遠い彼方からのこだまのざわめきのように聴き手を魅了する効果
ピアノ=愛らしくて柔らかく穏やかな平静さ、または静かな憂鬱
フォルテ=エチケットに反しない範囲での、独立心に満ちた決然とした力、ただし情熱を誇張するわけではない
フォルティッシモ=歓呼にまで昂ぶった喜び、または憤激にまで高められた苦痛
3.音楽言語で構築され意味を持つ音楽
~サウンドとしての音楽
著者の立場はあくまで「音楽は『音楽言語』で構成され、意味を持つ」ということだが、対して「サウンド」(の効果)を重視する立場もある。その特徴は…。
- きれいで気持ちよければいい
- 効果や感動を利用する・商売にする「音楽」業界?
- ミューザック:BGMの商品化で莫大な利益
- アウシュヴィッツでの音楽による囚人管理
- サプリメント化されたヒーリングミュージック
- ビジネスとして成り立つには規模が必要、つまりグローバル(言語非依存)
※「サウンド重視」の立場にはいろんな危険性を感じる。しかし一方で、自然の音(鳥や虫の声、風の音等)を音楽と感じる日本人の感性は大事にしたい。「音楽言語」がいまだに19世紀ヨーロッパの音楽文化に極端に依存していることが大問題かも…。
4.音楽を聴く「型」が存在する
音楽は、その時代の文化・社会・言語等に影響されている。現在のクラシック音楽の「型」は、19世紀ヨーロッパの音楽文化による「音楽言語」に基づいている。
5.よりよく味わうために自分でもしてみる
「アマチュア」の意味
昔(CDとか録音技術が存在しない時代)の音楽を楽しみ方は、自分で弾く、連弾で楽しむことしかなかった。
現在では、音楽を「する」/「聴く」/「語る」の分裂が生じている。この「分業」により、現在の音楽の楽しみ方は「一人で聴いて楽しむ」が主流になっている。作曲家もそれを前提とした作品を主に作り出している。
※確かに、自分でピアノを弾くようになってから、音楽の楽しみ方が豊かになったと感じている。さらに「よりよく味わう」ために、もっと練習をがんばろう…。
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