2025年7月30日水曜日

ピアノ選曲:J.P.スウェーリンク「半音階的幻想曲」に辿り着くまで

昨日の記事(↓)に書いたように、次のピアノ練習曲はスウェーリンクの「半音階的幻想曲」SwWV258 に決めたのだが、そこに至るまでの経緯を記録しておこうと思う。





少し前から次の選曲も意識しながら手当たり次第?にピアノ曲を聴いていたのだが、ふと J.S.バッハ以前の古い曲はどうだろう?…と思って聴き始めた。

以前、鑑賞曲として探索した 23人ほどの作曲家《鍵盤音楽史:バッハ以前》から適当に選んで聴いてみた。

ジョン・ブルとかダウランド(「涙のパヴァーヌ」の編曲版)などもいいなぁ…と思いながら音源を探しているうちに、スウェーリンクの比較的新しい曲集(CD)を見つけた。

スウェーリンクのピアノ演奏(録音)は少ないので、これはありがたい!と思って聴き始めた。なかなかいい感じだ ♪


これ(↓)がそのアルバム。


YouTube でも聴ける(↓)。2023年7月ウィーンでの録音。

♪ Sweelinck: Keyboard Works(アルバム)


ピアニストはアンドレア・ヴィヴァネット(Andrea Vivanet)。初めて聞く名前だ。

イタリアのサルデーニャ島カリアリの生まれ。地元の P.L.ダ・パレストリーナ音楽院で学んだのち、フェラーラ音楽院、ブダペストのリスト・フェレンツ音楽大学を卒業。

2014年の第15回大阪国際音楽コンクールで第3位を獲得しているようだ。


CD の収録曲は下記。★☆はちょっと気に入ったもの。

  1. 第9旋法によるトッカータ SwWV 297★
  2. エコー・ファンタジア SwWV 261☆
  3. トッカータ SwWV 283
  4. 「宮廷風に」による変奏曲 SwWV 318
  5. 第2旋法によるトッカータ SwWV 292
  6. 「私の青春は終わった」による変奏曲 SwWV 324★
  7. エオリア旋法によるトッカータ SwWV 298☆
  8. 「緑の菩提樹の下で」による変奏曲 SwWV 325
  9. 第9旋法によるトッカータ SwWV 296☆
  10. 「そうでなくては」による変奏曲 SwWV 330
  11. 第1旋法によるトッカータ SwWV 286
  12. 「大公の舞踏会」による変奏曲 SwWV 319
  13. トッカータ SwWV 285
  14. エコー・ファンタジア SwWV 253

出典:✏️keyboard Works: Vivanet(P)(HMV)


一通り聴いていくつか気に入ったものを候補にしようと思ったが、IMSLP(ペトルッチ楽譜ライブラリー)にある楽譜は限られていて、なかなか思うように行かない。

スウェーリンクの中では有名と思われる「私の青春は終わった」による変奏曲 SwWV 324 にしようかとも思ったのだが、何度か試し弾きをしているうちにちょっと飽きてきた。

この変奏曲は主題がわりとそのまま残っているので、ややしつこさ?を感じるのだ。いいメロディーだとは思うのだけれど…。

蛇足ながら、この直接的な日本語訳は味気ないのでは…(^^;)。「わが青春の日は既に過ぎたり」という、よく見かける訳の方が余韻?があって良いと思う。


で、そうこうしているうちに、出会ったのがこのジャン・ロンドーの弾く「半音階的幻想曲」(↓)。なかなか魅力的な曲(演奏)で、立て続けに 2〜3度聴いてしまった。


ハープシコードで弾くからいいのかも…と思って、ピアノ演奏も探したのだが、残念ながらほとんど見当たらない。


IMSLP で楽譜を見つけて試し弾きをしてみた。16分音符や 32分音符の速いフレーズが出てくるので、ジャン・ロンドーのテンポでは無理そうだが、少し遅くすれば何とかなるのでは?…と思ったのは勘違いかも知れないが…(^^;)。

それよりも、譜面から感じる印象や試し弾きの感触とジャン・ロンドーの演奏の間にかなり大きなギャップがあって、どうしてこんな演奏ができるのだろう?…という疑問の方が先に立ち、この謎を何とか解き明かしたいものだと思った。

で、最初は迷っていたのだが、この謎解き?のためにも弾いてみなくては…と思い始め、考えていても仕方ないので、とりあえず?練習することに決めた…という次第。

まぁ、どうなることやら…(^^;)?


おまけ。スウェーリンクについて少し。





ヤン・ピーテルスゾーン・スウェーリンク(Jan Pieterszoon Sweelinck, 1562-1621)は、ルネサンス時代のオランダの作曲家・オルガニストで多くの声楽作品、鍵盤作品を残している。トッカータ、ファンタジア、変奏曲などを得意にしてる。

15歳でアムステルダム旧教会のオルガニストに任命されたのだが、教会がカルヴァン派への転向を余儀なくされたため、礼拝時のオルガン演奏は禁止となった。

そのため、当時としては珍しく宗教や宮廷といった制約のない市職員という立場となり、自由に創作・演奏できる環境に恵まれた。

教育にも力を入れた。とくにドイツ北部・中部のオルガニストが次々と彼の元に来て学び、その後故郷に戻って活躍した。大バッハへと至るドイツ・オルガン音楽の華やかな一時代を築いたため「北ドイツ・オルガニストの父」とも呼ばれる。

また、対位法の複雑さや洗練、とりわけ対主題やストレット、保続音の用法において、バッハを予期していると言える。

出典:


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