2016年1月16日土曜日

本『これを聴け』を読んではみたが…

年末年始に読もうと思って、図書館の新刊コーナーにあった『これを聴け』という本を借りた。のだが、中身が濃すぎて昨日やっと読み終えた。

『これを聴け』(みすず書房、アレックス・ロス)




この本を選んだ理由は、音楽書としては異例の世界的ベストセラーとなった(と書いてあった…)『20世紀を語る音楽』(第1巻第2巻)の著者の最新刊(といっても翻訳版が2015年10月というだけで、原書は2010年)という理由だけである。

著者はアレックス・ロス(Alex Ross)という、1968年生まれの米国の音楽評論家。20代から雑誌『ニューヨーカー』の音楽評論を担当した異才で、『20世紀を語る音楽』は、全米批評家協会賞、英国ガーディアン・ファーストブック賞等を受賞している。


正直言って、内容はかなり難しい。モーツァルトからジョン・ケージからボブ・ディランからビョークから…どこまでも幅広く、しかも内容が深い。その音楽のことをよほど知っていないとついていけない。マールボロ音楽研修に参加して、内田光子に密着取材?したりする様子などは面白いのだが…。

で、ついていけないながらも何とか読み終えたなかで、印象に残ったことだけを、ほんのつまみ食い的に書いてみる。


<1. これを聴け —境界を越えてクラシックからポップへ>から

「1782年のライプツィヒでは、生きている作曲家の音楽が占める割合は89%にも上った。1845年になると、それが50%くらいに落ち、そして19世紀の後半になると、25%前後にとどまった。」

「異常なまでの過去崇拝は、作曲家たちの意気込みにも悪影響をおよぼした。…」


現代の作曲家たちのメンタリティの一部「作曲家仲間うちでの評価のために作曲する?(ように見える)」が理解できるような気もする。

ちなみに現在の米国では、オーケストラが存命の作曲家の作品を演奏する割合は12%ほどである。



<3. 悪魔の機械 —録音はどう音楽を変えたか>から

「クラシック音楽…は、予期しなかったやり方で、オンライン上で繁栄している。…オンライン上でのクラシック音楽の拡散は、ファンにとって恩恵であり、…『文化的な意識はあるけれどコンサートに来ない人々』の心配を軽減する。」


オンライン上で色んなクラシック音楽を聴くことができたり、調べたり、知ったりできることは、クラシック音楽の楽しみ方を大きく変えているのだろう。音楽や作品自体にも影響しているのだろうか?

これまではクラシック音楽を聴かなかった人たちが簡単にアクセスできることになり、それによりジャズやロックやポップスなどの、異なる(と考えられていた)音楽領域との双方向の融合が進んだことは間違いなさそうだ。


<6. アンチ・マエストロ —ロサンジェルス・フィルハーモニックのエサ=ペッカ・サロネン>から

「彼(サロネン)は私にこう言った。『ここ(L.A.)には現代美術の展覧会に行き、芸術的な映画を観る人々がいる。でも彼らはクラシック音楽の演奏会には来ない。…彼らはオーケストラを現代のアート・シーンの一部とは見てないのだ。』…」


その背景には、オーケストラが18・19世紀の古典を「レプリカ」として繰り返すコンサート儀式になってしまったことがある。「音楽」という文化ではなく、「演奏という文化(culture of performance)」…。

クラシック音楽が「現代のアート・シーンの一部」になることは、もうないのだろうか?


(L.A.フィルの団員について)
「…個々の作品にふさわしい演奏様式 —響きの種類、フレージングの種類、ブレス、アタック、音色、いわく言いがたいすべてのこと— を正確に見極めてから始めている…」

ピアノ演奏でも同じようなことを考えなくてはいけないのだろうが…(高級難度!)。


<7. 偉大なる魂 —シューベルトを捜して>から

「終着点に、つまり音楽が表現できるものの究極にあるのが、1823年と1828年の間に生まれた傑作群である。最後の三つの弦楽四重奏曲、二つのピアノ三重奏曲、弦楽五重奏曲、最後の8曲ほどのピアノ・ソナタ、交響曲第九番、いくつかの連作歌曲である。」

「風変わりな転調と曖昧な和音を使って、大きく広がる眺望の上に微妙な色彩の変化をつくり出した。ピアノの広い音域いっぱいに音型を分散させることによって、あるいは弦楽器の上に音の細やかな装飾によるテクスチュアを広げることによって、空間を拡大した。そしてその空間では、弦楽五重奏曲の見事な第2チェロの旋律のように、ひとつの声部が叫び声を上げたり、あるいはいくつかの楽器が容赦なくひとつのリズムを反復して、移動する動きの感覚をつくり出す。」


<8. 情緒的な風景 —ビョークの英雄譚(サガ)>から

「ビョークは最高のオペラ歌手のように、精確なピッチと感情表現を組み合わせているが、他方を犠牲にすることなく一方を得ることがいかに難しいかについては、どの歌姫も語ることができよう。…」


ビョークといえば「ダンサー・イン・ザ・ダーク」くらいしか知らなかったが、クラシックから現代音楽、電子音楽、民族音楽、合唱、ポップス、パンク、ジャズ、…と実に広いジャンルと関わり、あるいは取り込み、となかなかつかみどころのない存在であることがうかがえる。

現代以降の音楽の一つの可能性を示しているのかも知れない。世の中、(音楽のことだけとっても)知らないことだらけだとつくづく思った。


<13. ミュージック・マウンテン —マールボロ音楽研修の内側>から

(マールボロでのオーディションについて)
「…グードと内田が求めるのはどんな才能なのかを尋ねると、グードはこう言った。『…技術的に優れていることは前提条件だよ。でも、主張する力と情動的なリアリティがあるかどうかを聴くことになる。おそらく、最終的にはそれが第一条件かもしれない。それが『音楽性』と呼ばれるものだと思う。』…」

「主張する力と情動的なリアリティ」か…、日本人ピアニストからは想像もつかない…。



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