2015年10月11日日曜日

ショパンコンクール:審査員はここを見ている

ショパンコンクールの公式サイトに面白い記事があった。10月5日の少し古い記事で第1ラウンドの話だが、コンクール(ショパン作品の演奏)を楽しむいくつかのヒントが見つかって、興味深かった。

Karol Radziwonowicz という人の"TAMING THE KEYBOARD"という記事である。

かなり勝手な意訳・抄訳(緑色の字)をしながら、少し感想などを書いてみたい。


審査員は、参加者の技術的な熟達度だけでなく、音楽的・感情的な成熟度を評価する。


まあ、そうだろう…。ただ、成熟度ってどうやって分かるのだろう?


第1ラウンドが一番重要だという説もある。最初の印象は、審査員のその後の評価に影響する可能性があるからだ。第1ラウンドが一番面白いというつもりはないが、もっとも重要でもっともリッチであることは確かだ。


第1ラウンドは78人もいるので、気になる数人しか聴いてないが、「最初の印象が…後の評価に影響する」というのはそうかも知れないと思った。


エチュードの第1グループでは、facilitas が要求される。ここで、審査員は候補者がピアノを自分のものにしているか(コントロールしているか)どうかを見る。


"facilitas" の意味がよく分からないが、「容易さ? 自家薬籠? 自分のものとして楽々と弾きこなす能力?」みたいなことかと推測する。第1グループは弾けて当然ということか?

ちなみに、第1グループの曲は、Op.10 の No. 1/4/5/8/12 と Op.25 の No.11。


エチュードの第2グループ(「死のグループ」と呼ばれることも…)にはピアニスティックな課題のほとんどが含まれている。重音(3度、オクターブ)、和音の跳躍、アルペジオなど。そして、op.10-2では、3・4・5の指での半音階+他の指での演奏、op.25-5では同じテーマを弾き分けること。ここでは、技術的にも音楽的にも難しい曲を弾きこなす成熟度が…、エチュードの音楽にバラエティを与えられるだけの成熟度、が試される。


課題曲のレパートリーは、そういう意図を持って選ばれているのか、と改めて感心した。エチュードの第2グループは、要するに難しい曲ということらしい。

第2グループに含まれる曲は、Op.10 の No. 2/7/10/11 と Op.25 の No. 4/5/6/10。


ノクターン:音のタイプ、カンティレーナ(叙情的歌謡)の美しさ、ショパン的なフレーズ、ショパン的なルバートを評価する。ゆっくりしたエチュードも含まれる。そこではカンティレーナが重要な役割を持つ。


なるほどと思いながらも、心のどこかで、これまでに聴いたことのある「ショパン的な」ものを超える、新しい演奏を聴きたいとも思っている。


バラード、スケルツォ、舟歌、幻想曲では、カンティレーナやショパンのルバートと同じようなテクニックの問題が、すべて一つの大きな枠組みの中に存在する。このことを理解するのは不可欠である。エチュードやノクターンでは各要素は個別に存在するが、ここではすべてが同時に、一つの大きな作品の中で起きる。それを正しく構築し、物語を紡ぎ、クライマックスを計画的に準備する必要がある。


個人的には、この種の大きな作品の方が、ショパンの曲の中では好きだ。聴きごたえがあるからだと思うが、弾く側の立場から言えば、それだけ難しいということになるのだろう。


大きな形態を好むピアニストもいれば、小品を好むピアニストもいる。なので、第1ラウンドのプログラムには両方が含まれている。これで、スケールの大きな作品を扱える、フォーム、カンティレーナ、フレージング、ショパンのルバートをこなせるピアニストであるか、そうでない、例えばエチュードは得意だが、ノクターンの情緒は得意でないとか、あるいはノクターンは得意だが、バラードでは形式を捉えられずに、単なるエピソードの集まりしか表現できないようなピアニストであるかが分かる。


評価としては、スケールの大きな作品をこなせるピアニストの方が高いんだろうな〜。それとも、両方がこなせないとダメなんだろうか?

聴き手としては、こういう視点での聴き方もできるということなので、次に聴くときはこういうことも意識して聴いてみようと思う。


バラードは叙事詩であることを忘れてはならない。あたかも小説を読んでいるかのように。エッセイやショートストーリーの集まりではない。このことをピアニストは忘れがちである。一つのフレーズの終わりは、次のフレーズの始まりであることを強調したい。そこに、大きな作品の美しさも、難しさもある。


音楽のフレーズをつないで叙事詩として構築する。考え方は分かるが、聴く側として、この聴き分けができるかどうかは自信がない。


多くのピアニストはノクターンから入る。最初のいくつかの音で、鍵盤の感覚とホールの音響を感じ取ることができる。また、精神的な面でも意味がある。極度の緊張を強いられるピアニストは、ノクターンの中で、ショパンに魅せられその魔法にかかる。次第に心地よくなり、音響の世界に入る、ピアノが自分の協力者に感じられ、自分自身のショパンを見出し、温かいフレンドリーなホールにいることに気づく。


そういう演奏ができたピアニストが次のラウンドに進める可能性が高いということだ(たぶん)。



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