2024年7月26日金曜日

Mozart ピアノ協奏曲第13番 K.415:堂々としたバレンボイム or 繊細な内田光子 ♪

モーツァルトのピアノ協奏曲、今日はピアノ協奏曲第13番 ハ長調 K.415。

第5番〜第10番の初期作品がまとめて作られた時期から 6年ほどあと、1782年末から1783年初めにかけて(26〜27歳)作曲された 3つのピアノ協奏曲(第11〜13番)の最後のもの。

モーツァルト自身が開催した「予約演奏会」のために作られた作品。




モーツァルトは 1781年からウィーンに定住し、1782年の 8月(26歳)にはコンスタンツェと結婚し、職業音楽家(作曲家&ピアニスト)として生計を立てるようになる。

この頃の演奏会といえば、王侯貴族のお抱え演奏家たちによるお屋敷での演奏会というのが一般的であった。…が少しずつ、公開演奏会も開かれるようになっていた。

モーツァルトの「予約演奏会」というのは、興行師と組むのではなく、モーツァルト自身が企画・開催するという、当時としては画期的な形態の公開演奏会であったようだ。


1782年12月28日のモーツァルトの父に宛てた手紙には次のように書かれている。3つのピアノ協奏曲の作曲意図のようなものが垣間見えて面白い。

ところで、予約演奏会のための協奏曲が、まだ二つ足りません。 出来た協奏曲は、むずかしいのとやさしいのの丁度中間のもので、非常に華やかで、耳に快く響きます。 もちろん空虚なものに堕してはいません。 あちこちに音楽通だけが満足を覚える箇所もありながら、それでいて、通でない人も、なぜか知らないながらも、きっと満足するようなものです。切符は現金6ドゥカーテン(27フローリン)で頒けています

しっかりと、ウィーンの聴衆の好みを意識して、難しすぎず楽しめるような曲を目指していることが分かる。この時点で完成していたのは第12番の協奏曲のみであった。

なお、チケットの料金は今で言うと約 8万円?ほどに当たるらしい。父親のレオポルトは「高すぎる」と言ったようだが、実際にはすぐに売り切れたようだ。顧客が貴族や富豪ということと、ピアニストとしてのモーツァルトの人気もあったのだろう。


また、この 3作品の楽譜も出版・販売したが、こちらの売れ行きは芳しくなかったようだ。楽譜の予約販売の記事(ウィーン新聞、1783年 1月15日)には、ピアノ五重奏としても演奏可能なことが書いてある。

この三曲の協奏曲は管楽器を含む大管弦楽団でも、単なる四重奏、即ちヴァイオリン2、ヴィオラ1、チェロ1とでも演奏可能であり、本年四月初めに出版される


ハ長調の堂々とした第1楽章、ピアノの音が冴える美しい第2楽章、パパゲーノ的な生彩をもつモチーフの間に突然現れる悲しげな 2つのインテルメッツォを持つ第3楽章。

この時期に作られた 3つのピアノ協奏曲(11番〜13番)の中で、この第13番にだけトランペットとティンパニが加えられており、最も輝かしいという評価もある K.415、もっと演奏されてもいい作品かも知れない。


ダニエル・バレンボイム(Daniel Barenboim、アルゼンチン、1942 - )がウィーン・フィルを弾き振りした演奏は、堂々とした第1楽章など、この作品に一番合っていると感じた。



内田光子さんが Camerata Salzburg を弾き振りした演奏は、より繊細な印象であるが、第2楽章などは実に美しい ♪



弦楽四重奏での演奏も悪くない。弾いているのは Volha Shumskaya というピアニスト。



参考:

✏️モーツァルト :ピアノ協奏曲 第13番 ハ長調 K.415 K6.387b(PTNAピアノ曲事典)

✏️ピアノ協奏曲第13番 (モーツァルト)(Wikipedia)

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