2013年9月10日火曜日

「西洋音楽論」:②日本人の演奏はつまらないか

少し間があいてしまったが、引き続き「西洋音楽論」(↓)からの二つ目の論点について書いてみたい。(一応、ずっと考え続けてはいたのだが…)

『西洋音楽論 クラシックに狂気を聴け』(森本 恭正 著)




まず、筆者は日本人を含む非西欧人が、「西洋音楽を理解できず、したがって本当にいい演奏をすることはできない」、と言っている訳ではない、ということは確認しておきたい。本のなかでも、「その(西洋音楽の)美しさを感じる人たちはそのバトンを受け取る資格がある」とはっきり言っている。

とはいえ、日本人が西洋音楽を、あるいは音楽を本当に理解するためには、知っておくべきことがあると言っているようだ。西洋音楽の特質として次のようなことが書いてある。

①アフタービート(Up Beat)感
②スウィング感:放物線運動
③タンギング(しゃべる・表現する):歌・旋律(+それを支える和声等)、主張
④フレージング(+統合へ向かう):意味のある区切り
⑤たわみ:準備→音を出す→次の準備 (エンジンの回転、ドライブをかける)
⑥FUZZ(非楽音、ノイズ)を含まない

これらのほとんどがヨーロッパ言語の特質と関連していること、そして西洋音楽は何かを伝える・主張するためのものであること、が根底にあるようだ。


一方で、日本の古来の音楽は、「自然と融和した中で、竹林に吹く風のように奏でられ…。誰のためにでもなく、自らの瞑想と思索のために吹く」という指摘は、なるほどと思わせられた。そして、和楽器には「さわり」と呼ばれるノイズ(FUZZ)が含まれるそうである。


それから、音楽の共通言語である「楽譜」にはすべてが表現されているわけではなく、むしろ最低限のことしか書いてない。それを読み解く、読み取るためには相当の知識と見識が必要である。という、ある意味当たり前のことが書かれているが、これが結構奥が深いのである。

バッハは、彼以前の作曲家の音楽だけを知っていて、ベートーヴェン等は聴いたこともなく、また当時の音楽の常識・慣習(楽譜の書き方・演奏法・楽器)を前提に作曲し、それを楽譜という形で表現していた、ということである。

例えば、装飾音符は演奏者がある程度自由につけることが出来た、とか、楽譜に書かれなかったことに意味がある(例えば、慣習に従え)こともある、等。


それで、結論は?というと、正直よく分からない。

国際的に評価されている指揮者やピアニストがいるのは事実である。しかし、例えば、YouTubeで日本人のいい演奏やお気に入りピアニストを探そうとするのだが、半年以上探して、いまだに一人も見つかっていないのも事実である。(上原ひろみというジャズピアニストを除いて)

なお、内田光子さんは素晴らしいと思うが、彼女はどうも日本人離れしていて、少し違うような気がしている。


とりあえず、少なくともピアノに関しては「日本人の演奏はつまらない」と、個人的には思っている。よく言われていることだが、メカニックや弾く技術は素晴らしいのだが、音楽を表現できてない、あるいは音楽表現技術が拙い、のがその理由ではないかと思っている。

あと、まったく個人的な推測で申し訳ないが、インタビューを聞いたりして思うのは、日本人のピアニストは精神年齢が低いような気がしてならない。

もしかすると、日本全体の「お子様優遇」の文化的風潮や、徒弟制度の尻尾を引きずっている(ように見える)ピアノ教育界の状況が原因なのかも知れない。


決して、日本人演奏家にケチをつけたい訳ではない。そうではなく、ぜひとも日本から素晴らしいピアニストや作曲家が出て欲しいのである。そのためにはどうすればいいのだろう、と私ごときが考えても仕方ないのだけど…。門外漢が生意気言ってすみません、失礼。



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