第5章 ベートーヴェンに関するセミナー (2)
第6章 ベートーヴェンのソナタ その内容と形式について
●感想(青字は抜き書き)
前章の本人によるサマリ。
彼の音楽が一方では非常に情熱的で、叙情的で、衷心から発するものであるということ、同時に他方では彼の音楽が冷たい、つまりある条件化では冷徹であるということ―別の言葉で言えば、高度に知的な水準にある、ということを述べたのです。
実際にはどちらかに偏りがちで、非常に難しい課題である。
今回はネイガウス自身が、ソナタ「テンペスト」を弾いた後で、話をしている。音楽自体は、その音ですべてを表現している(語っている)ので、言葉による解釈・説明は不要である。しかし、音楽自体が別の文化領域(文学、美術、哲学、…)から発していたり伝えたりするので、逆に音楽からそのようなものを感じとることもできる。
言葉による音楽のいかなる解釈も、一方では大層役に立つが、他方では大害を伴う〈諸刃の剣〉のようなものだ…。私たち音楽家にとって、音楽は、完全に明白な音で語っています。
しかし人間は聴覚だけではなく、別の精神的能力からも成り立っていますので、人は音楽を別の文化領域にもまた伝達しています。ですから、どのような芸術と接する際にも、人間は、複数の芸術・学問の混合した概念や感情を感じることができ、それらを別の言語で置き換えることができるのは当然です。
→音楽の詩的、絵画的、宗教的、哲学的、道徳的な解釈
そのあと、ソナタ17番「テンペスト」の具体的な解釈や「芸術的イメージ」を多くの楽譜(実際にはそこで演奏している)とともに説明している。これをうまくまとめるのは、私の能力を超えているので割愛する。全体としては 「大文字で始まる『自然』」とのかかわりが濃密である。また、改めて技術の重要さにも触れている。
私が歳をとるにつれ、また教える機会が増えるにつれて、どれほど技術が、音楽と切り離せないものであるか、ということをますます実感しています。
前回のセミナー(1)も含めて、実際に聞いてみたいマスタークラスである。
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