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2017年9月23日土曜日

中村紘子さん最後のエッセイ集『ピアニストだって冒険する』を読んで…

中村紘子さんの『ピアニストだって冒険する』(新潮社、2017/6/30刊)を読み終えた。残念なことに、最後のエッセイ集になってしまった本である。

『ピアニストだって冒険する』(中村紘子)



若い頃の『ピアニストという蛮族がいる』とか、『チャイコフスキー・コンクール―ピアニストが聴く現代』とかに比べると、筆の勢いも穏やかになり、同じような話が繰り返されたり、話題があちこちに(とくに昔話に)飛んだり…と、やや残念な部分もないわけではないが、その内容は相変わらず面白い。

一番面白かった?のは、前回の記事《2015年のチャイコン優勝者はロシア人じゃなかった!ギワク?》に書いた話であるが、それ以外でいくつかの感想(読みながら考えたこと)を書いてみたい。


「いい音」は響き(情報量)が豊か ♪


これまでも何度か書かれていると思うが、日本人ピアニストの「音色」は「音が固い」「響きが無い」という話が出ている。欧米やロシアのピアニストと比べると歴然とした差があり、それが国際コンクールで日本人が活躍できない理由の一つかもしれないという話である。

その「響き」についてこういう風(↓)に説明してある。

(響きとは)そこにこめられた奏者の率直な思いや息吹、思想や宇宙、要するにつきつめて言えば、その人を育んできた『文化』のことに他ならない


私自身、ピアノの「音色」にはとても関心がある。とくに聴くときには、音色が平凡だったり、音色のパレットが貧弱な演奏は好みではないので、途中で聴くことをやめたりすることも多い。ピアノ音楽にとってピアノの音色の美しさはとても重要だと思っている。

本当は自分が弾く(練習する)ときにも「音色」にこだわりたいのだが、残念ながら技術が追いつかないので…(^^;)。


ところで、音色に関する言い方で最近気に入っているのは「情報量」という言葉だ。以前からなんとなく知ってはいたが、言葉として明確に意識したのは『蜜蜂と遠雷』を読んだときである。こういう(↓)表現になっている。

凄い情報量だ。プロとアマの違いは、そこに含まれる情報量の差だ。一音一音にぎっしりと哲学や世界観のようなものが詰めこまれ、なおかつみずみずしい。…常に音の水面下ではマグマのように熱く流動的な想念が鼓動している



2つを並べてみると、響き=情報量=「奏者の思い、思想、宇宙、哲学、世界観」のように思えてくる。これはこれで分かる気もするのだが、それ以前に、もっと物理的・音響的あるいは聴き手の生理的・感情的なレベルでの「情報量」というのがあるようにも思う。

さらにいうと、ピアノ奏法のレベル、表現技術のレベルでの方法論があるはずだ。思いや世界観をどうやって実際のピアノの音に変換するのか、それがピアニストの腕の見せどころなのでは? それができなければ、…

音色に繊細なニュアンスを欠き、表情がフォルテかピアノだけ、という表現

…にしかならないと思う。


「成熟」の話


上の話とも関連するが、最近の日本における「本物の文化」の軽視・希薄化、そしてその裏返しでもある「軽チャー」の蔓延を嘆いておられる(↓)が、まったく同感である。

(日本では)…どうも近年、クラシック音楽をはじめとする、いわゆる人間の『成熟度』を必要とする分野に携わる人々の存在感というか、社会における発言権が昔に比べて希薄になってきたように思う

…人間の成熟には時間がかかるが、それを寛容に受けとめる社会がなければならない。でも今日の日本でもてはやされているのは軽チャーであり、未成熟な子供っぽい思考である


この背景には、音楽界に関わる人たちの感性が「芸術」や「文化」よりも「金儲け」にシフトしてしまっていることがあるのではないかと思う。

例えば、国際コンクールの入賞者を見る周囲(音楽事務所等?)の目も、「手早くお金にするには?」「売れるうちに売っておこう」という観点が際立っていて、長い目で才能をどうやって育てようか、などという雰囲気はあまり感じない…。(ちょっと勘ぐり過ぎか…?)

2020年の東京五輪では文化面でも日本が注目を浴びると思われるが、世界に向かって誇れる「日本文化」を見せることができればと願う。戦後復興の節目となった1964年の東京五輪から56年、十分に「成熟」する時間はあったはずなのだが…。


若い音楽家のためのチャイコフスキー国際コンクール


恥ずかしながら初めて知ったのだが、日本でもチャイコフスキー国際コンクールが開催されていたそうだ。といっても「若い音楽家(8歳〜17歳)のための〜」であるが…。

その第2回(1995年)が仙台で、第5回(2004年)が倉敷で開催されている。

第2回コンクールでは、当初予定されていたレフ・ブラセンコ氏の病状が悪化したため、中村紘子さんが審査委員長を務めている。しかも、このときの1位が13歳のラン・ラン、2位が15歳の上原彩子さんであったらしい。


この「開催経験をもとに、伊達政宗による仙台開府四百年を記念して、2001年から」始まったのが「仙台国際ピアノコンクール」ということになる。

倉敷で開催された2004年からずいぶん経つが、日本のどこかの都市で次の「若い音楽家のためのチャイコフスキー国際コンクール」を招聘(誘致?)しよう、などという動きはないのだろうか?

日本も「音楽文化」における存在感を出していかないと、ホントに "Japan passing" になりそうな気配が…(^^;)??



おまけ:レパートリー化は諦め?

他にもいくつか興味深いことがあったのだが、自分自身に関係することでひとつ。

練習した曲の「レパートリー化」というのをいつかは実現したいと思っていたのだが…。つまり、楽譜を見ないでも、いつでもすぐに弾ける曲を2〜3曲は持ちたい、という願望である。

…が、それはどうも諦めた方がよいのではないか?と思えることを、中村紘子さんがさらっと言っておられるのだ。

十代の半ば頃までに暗譜した曲は、いつ、なんどきでも簡単に取り出せる

つまり、逆に言うと十代後半以降に暗譜した曲は「いつ、なんどきでも簡単に取り出せる」わけではない…ということになる。ましてや60代後半からピアノを始めた人(私…)は「レパートリー化」など夢のまた夢…なのかな〜(^^;)?



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