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2018年3月15日木曜日

『キンノヒマワリ』中村紘子の記憶

音楽ライターの高坂はる香さんが書いた中村紘子の評伝(と言っていいのかな?)『キンノヒマワリ ピアニスト中村紘子の記憶』を読み終えた。

中村紘子さんの書いたものからの引用もあるので、私が読んだ本とダブる内容も含まれていた。それでも、知らなかったことももちろん色々あって面白く読ませてもらった。

改めて、すごい人だったんだと思う一方で、そのあとを引き継ぐ人が見当たらないことや、彼女がするどく指摘し、何とかしようとしていた日本の社会やピアノ界の問題点や課題はほとんがそのまま残されているという、心配な状況も少し見えた。

『キンノヒマワリ』については、著者のブログ「ピアノの惑星ジャーナル」などにも書いてあるので、今回は「へ〜っ、そうだったんだ」と思ったことを中心に書いてみる。






🎼中村紘子が目指したピアノ演奏


中村紘子がピアニストとして、日本で身につけた「ハイフィンガー奏法」に悩まされ、そのこともあって、日本のピアノ教育法やピアノ界のあり方に大きな課題を見出していたことは衆知のことだと思う。

で、どんな音を求めていたかというとこの表現(↓)が一番あっているような気がする。

あの"本場"のピアニストたちが出すような、ふわっと柔らかく豊かで、シンはあるのに音の周りは美しい霧に包まれたような、ああいう響き

そしてもう一つ、心が動かされる芸術については、

99%の神聖なるものへの奉仕、献身と、1%の悪魔の血の一滴の混じったもの

という言い方をしていたらしいのだ。「ホロヴィッツの音楽には、神秘な悪魔の血が一滴入っている」と『ピアニストだって冒険する』に書いてあるそうだ。

この本、読んだのにこれは覚えてない…(^^;)→《読書メモ:ピアニストだって冒険する》

何れにしても、ちょっとドキッとする言い方だ。でも芸術ってそういうものかも…。



🎼ピアニスト中村紘子


著者によると、アーティストの「国際的な活躍」スタイルは2つあるそうだ。

一つは「世界市民として…ひたすらに音楽家としての高みを目指す」スタイル。世界のミツコ・ウチダということだろう。もう一つは「軸足は祖国に置きながら国内外で活躍し、そこで得たものを祖国に還元する」スタイル。

中村紘子も「その狭間で揺れた」時期があったらしいが、結論としては後者のスタイルで活躍することになる。日本にとっては良かったのではないかと思う。


ピアニストとしての中村紘子は、聴衆に対する気配りが行き届いていたそうだ。例えば、ある街での演奏会の依頼があると、過去にそこで演奏した曲目とはできるだけ違うプログラムを用意していたらしい。そのために、

過去の全演奏会について、プログラム、アンコール曲、ドレスと靴の色、聴衆の反応、ホールの響きとピアノのコンディションを記載したカードがストックされていた

…というから驚きである。几帳面でもあったのだろう。



🎼活動家?中村紘子


社会情勢や政治状況などにも敏感な、日本を代表する文化人として、中村紘子はいろんな分野でリーダーシップを発揮した人であった。

恥ずかしながらそういう面はまったく知らなかったのだが、「対人地雷廃絶運動」や「難民を助ける会」でも長期にわたって活動されていたようだ。

東京都が、財政難を理由に都の管轄するホールや劇場の使用料を値上げする案が浮上したときには、これに反対する「東京都文化施設使用料大幅値上げを許さない芸術・文化団体の会」が発足し、中村紘子は請われて実行委員長を務めたそうだ。

音楽活動だけでも多忙を極めたはずなのに、本当にすごい人だ。



🎼鋭い視点


中村紘子さんは相当に頭のいい人だったと思う。鋭いなぁと思ったことを3つほど…。


日本には自分でちゃんと弾けて、ちゃんと教えられる先生がいないという指摘は、中村紘子を含めて何人かのピアニストや音楽家が言っているようだが、だからと言って海外に出ればいいかというと、そう簡単な話ではないようだ。

今の子たちは、日本の音大で勉強してから留学して、毎日インターネットで日本の友達と話をして、結局外国語によるコミュニケーション能力もそれほど育たない。留学しても日本から離れられなければ、欧米の音楽を本当に勉強することは無理…


日本のクラシック音楽市場について、「日本の聴衆へのリスペクト」はしてもらえるようになったが、日本での成功が欧米での成功につながるような状況には残念ながらなっていない。

ブーニンが日本でブームになったとき、その人気が西欧でも同じようなブームにつながるならば、それは「日本人の見識が評価されるということ」になるだろうと考えたようだ。


「現代音楽」について面白いことを言っている。

ある種の現代音楽を考えるとき、ふと崩壊してしまった社会主義を思い浮かべることがあります。社会主義の失敗は一つの観念を先行させ、その枠の中に、人間を当てはめようとしたことにあると思います。…ところがそれに人間はなじめなかった。ある種の現代音楽もまさにそういうところがあります…

なるほど…。



🎼そうだったんだ…


…と思ったことを3つほど。

浜松国際ピアノコンクールでは、中村紘子審査委員長のときに年齢の下限をなしにしたそうだ。2018年の募集要項を確認したら、たしかに「1988年 1月 1日以降に出生した者」とだけ書いてある。

演奏家としての勝負は、十代半ばにかなりな確率で決まってしまう」からだそうだが、なるほどと思った。


2017年のクララハスキル国際ピアノコンクールで、18歳で優勝した藤田真央クンは、実は浜松国際ピアノアカデミーのコンクールの優勝者だったという話。中村紘子の評価は、

彼の音楽には聴いている人をキュンとさせる、ときめかせるものがある

というもので、大きな期待をかけていたそうだ。もう一度聴いてみよう…(^^)♪

参考:《藤田真央くん、クララハスキル国際ピアノコンクール優勝 ♪》


もう一つ、まったく知らなかったのだが、浜松国際ピアノコンクールの審査委員長の座を降りたのは本人の意志ではまったくなかったらしい。それどころか、相当に悔しい思いがあったようなのだ。もちろん、公式の場ではそんな素振りはまったく見せてないが…。

その後、2020年頃までに東京で新しい国際ピアノコンクールを作りたいという夢を持ち、もしかすると具体的な構想を練っていたのかも知れない。

もしもこれが実現していたら、どんなコンクールになっていたのか、そしてその先にどんな素晴らしいピアニスト(できれば日本人…)が誕生していたのか…。




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《読書メモ:ピアニストだって冒険する》

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