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2016年8月16日火曜日

ピアノコンクールの意義?「コンクールでお会いしましょう」

《中村紘子さんの訃報に接して》に書いたように、これを機会に中村紘子さんの著書を何冊か読んでいる。1冊目の感想文はこれ(↓)。

《「ピアニストという蛮族がいる」やっと読んだ…》

《「ピアニストは半分アスリートである」の裏付け?》


2冊目は『コンクールでお会いしましょう―名演に飽きた時代の原点』という、ピアノコンクールに関する本である。




去年、インターネットを通してではあるが、初めてピアノコンクールというものを観戦?し楽しませてもらったのだが、その前に読んでおきたかった本である。

2003年のNHKの「国際コンクールの光と影」という講演(8回)を基にしているので、よくまとまっている上に読み物としても面白い。


国際コンクールの始まり:国策?


最初の本格的な国際ピアノコンクールは、1890年にサンクトペテルブルクで行われたアントン・ルービンシュタイン・コンクール。ロシアの、西欧に「追いつき、追い越す」政策によるものである。

参加資格は20〜26歳の「男性」のみ! 1回目には、イタリアのフェルッチョ・ブゾーニが作曲賞(もあったんだ…)で1位、ピアノで2位となった。

1910年の第5回までに、ジョセフ・レヴィン、バックハウスやアルトゥール・ルービンシュタインなど錚々たるピアニストを輩出した。


1927年に始まったショパン・コンクールも、やっと独立を勝ち取ったポーランドの愛国精神が背景にあった。「ショパンをフランスからポーランドに取り戻せ」というワルシャワの人々の熱い思い…。

そのためか、当時は12人の審査員(全員)も参加者もほとんどポーランド人であった。しかし、優勝したのはソ連のレフ・オボーリン。第1次世界大戦前の3回までの優勝者はすべてソ連からの参加者であった。

戦後再開された1949年に、初めてポーランド人、ハリーナ・チェルニー=ステファンスカが優勝するが、このときもソ連のベラ・ダヴィドヴィチと1位を分けている。


1958年のチャイコフスキー・コンクールも、ソ連の国威掲揚という国策そのもので始まった。ソ連の参加者は1年前から選抜され、「幽閉」されてモスクワ音楽院の教授たちの特訓を受けたとのこと。

でもご存知の通り、アメリカのクライバーンに優勝をさらわれる。

この時の審査員が豪華だ。エミール・ギレリス審査委員長をはじめ、カバレフスキー、ネイガウス、レフ・オボーリン、リヒテル等。

面白いのは、事前審査がなく、申し込めば誰でも1次予選には参加できたということ。そのため、素人同然の大量の「ツーリスト」がアメリカから押し寄せたらしい。旅費や宿泊費は国家予算から出たんだろうか?


こうやって見てくると、国際ピアノコンクールというのは、国の政策・思惑で出来たものが多いようだ。でも、思惑通りの結果になっていないのも歴史の皮肉か、審査員の公平さを物語るものか…(^^;)?


国際コンクールの是非論?公平性?


ピアノコンクールについては、その当初から議論されている「古くて新しい」問題が2つある。

一つは、そもそも「芸術にコンペはそぐわない」「コンクールは不要」という議論。これに対する意見の主なものは「若いピアニストにチャンスを与える場」として必要だ、というもの。

メンデルスゾーンは「一切の音楽競技に関わらないことに決めて爽快」と言い、バルトークは「コンクールとは馬のためのもので、芸術家のためのものではない」と言い…、と多くの音楽家が批判してきた。

一方で、バッハやモーツァルトも貴族の前などで「競演会」をやって、演奏家としての名を高めたという歴史もある。

今のところ、「才能豊かではあるが未経験で未熟な若者たちに、目標を定める手助けをし、レパートリー拡張の機会を与え、そして演奏の場とチャンスを提供する、という点で、結局コンクール以上の場は見当たらない」というのが現実的な結論のようだ。


もう一つは、公平な審査をどうやって実現するか、という問題。その前に「公平な審査は可能か?」という問題があるのだが…。

ルービンシュタイン・コンクールでは、数学者や心理学者に「最も公平な採点法」を研究させたこともあるらしいが、結論は「審査する人の心が加わる限り、決定的な方法はない」という当たり前のもの。

過程は別として、採点シートがすべて公表されるショパンコンクールは一つの方向性を示しているような気もする。ブラームスコンクールの「その場で審査員全員が技術点・芸術点の2種類の札を挙げる」というやり方も面白い。

《ショパンコンクールの採点表、面白い♪》

《採点方法がユニークなブラームスのピアノコンクール》


まぁ、これからも同じような議論が続いていくような気もするが…。


「豊かな社会」からいいピアニストは生まれない?


「豊かな社会」とピアニストの関係の話はちょっと考えさせられた。

古代ローマでは、豊かになるにつれて、ローマ市民はひたすら「パンとサーカス」を享受する側にまわり、「パンとサーカス」を提供するのは周辺の「蛮族」、という図式になっていった。

同じように、社会が豊かになるにつれて、クラシック音楽を生んだヨーロッパの人々は観客席の聴衆となり、「演奏」を提供するのは「周辺」のソ連や東欧の諸国、そのあとはさらに遠いアジアの国々の「蛮族」となっていった。

「豊かな社会」では、

「感受性豊かで知的に優れた若者は(特に男子は)、ピアニストへの道を選ばなくなってしまった」

「幼少からすべてを犠牲にして練習に励み、しかも結果はどうなるか分からないといった生き方は、『費用対効果』から言ってあまりにも理不尽だ…」

ということになってしまった。(というのが中村紘子さんのご意見)

このあたりが、日本からなかなか素晴らしいピアニストが出て来なくなった?理由かもしれない。

《三題噺?暗譜の必殺技、ロシアのピアノ楽派、日本のピアニスト》



この本は他にもピアノコンクールに関するいろんなエピソード(コンクール荒らし?、運・不運の話し、…)が出てきて面白い。

まぁ、ピアノコンクールは人それぞれに(参加者も含めて)楽しみ方・使い方?があっていいと思う。個人的には、お気に入りのピアニストと出会えるのが一番の楽しみかな…♪

《ルカ・ドゥバルグ期待通り&期待以上♪!》



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