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2014年6月21日土曜日

近況:「アラベスク第1番」練習が進まない悩みの正体は?

ドビュッシーの「アラベスク第1番」を練習し始めてから3週間が過ぎた。1ヵ月でなんとか弾けるようになることを目標にしていたが、少し怪しくなってきた。もともと1ヵ月では無理だったのか、練習の進め方に問題があったのか、よく分からない。悩みは深まるばかり…。


■ 練習の「悩み」の正体は?

悩みの内容は何かを考えてみると、今回は次の3つくらいがすぐに思いつく。

① なかなか弾けるようにならない、「指が覚えない」
② 暗譜できない
③「進歩しているという感覚」があまりない


①の感覚は少し不思議な部分がある。弾けないわけではないが、すんなり弾けるわけではない、という状況が続いているのだ。あらためて「指で覚える」ということの難しさを感じている。

そもそも「指で覚える」とはどういうことなのだろう? 普通に考えると「慣れ」みたいなもので、何度も同じパターンを繰り返すうちに、楽譜を見なくても自然に指が動くようになること、だろうと思う。そうだとすると、繰り返し練習をしてもなかなか覚えられない、というのはどういうことなのか?

これまで練習したベートーヴェンやショパンやバッハでは、あまりこういう感覚はなかった。練習を重ねるうちに、いつの間にか「指が覚えていた」のである。ドビュッシーは何か違うのだろうか?


②の「暗譜できない」は、①の「指が覚えない」ということと、同じメロディーで少しずつ異なる音型が出てくるためだと思われる。これは頭で覚えるのと、「指で覚える」ことの合わせ技だと思うのだが、なにせ①の問題が解決しないと…。

③は①②の結果とも思われる。が、もう一つ疑問がある。それは、今までに練習したことの「成果」は「アラベスク」で役に立っているのだろうか、ということである。


モーツァルトのソナタ(K.545)、ベートーヴェンの「悲愴」(第2・第3楽章)、ショパンの「雨だれ」など、練習してそれなりに弾けるようになった。その結果、ピアノの腕(技術)も上達したと信じていた。だが、その「上達」はドビュッシーで役に立っているのか?

これも普通に考えると、上達しているはずだし、それはアラベスクを弾くときに役に立っているはずである。問題は、それを「実感」できるかどうか、である。そもそも、1年前にはこの曲を弾いてみようとさえ思わなかったのだから、たしかにそれなりに「上達」しているはずなのだが…。

…と、悩んでばかりいても仕方ないので、なんとか続けて頑張るしかないとは思う。


■ じゃあ、これからの練習どうするか?

「悩み」の正体はいま一つはっきりしない。が、とりあえず「練習は裏切らない」という言葉を信じて頑張るしかない。とはいえ、作戦は必要だと思う。で、どうするか?

③の「進歩の実感」は結果論だと割り切って、まずは「指に覚えさせる」&「暗譜する」に集中するしかないと思う。問題は、時間をかけての(単純な?)繰り返し練習以外に、何か進歩を加速させる方法がないものか、というところである。一応「大人のための効率的なピアノ練習法」を目指しているのだから。


といっても、今これといった「秘策」があるわけではない。とりあえずはバッハのフーガで取り入れた、「楽譜を追いながらお手本の演奏を聴く」ことを今日から始めてみようと思う。「耳から覚える」ことの一環である。バッハのときは少し効果があったと思う。

あとは、ブロック分けした部分練習のうち、苦手な部分の克服を優先しようと思う。とくに後半がおろそかになっているような気がするので、まずはその部分で自信をつけることにしたい。

で、とりあえず、あと10日でできるところまで頑張るとして、その結果によっては期間延長はやむを得ないだろう。「アラベスク」という曲が好きになってきたし、練習するのも楽しいので、もう少し長く楽しむのもいいのではないか、と前向きに考えることにする。


■ 参考:これまでの格闘と工夫の記録

これまでの、3週間の練習の経過と工夫した内容について書いた関連記事をあげておく。ご参考まで。









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