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2021年12月8日水曜日

▼ブラームス「間奏曲」Op.116-4 昨日で「修了」…(^^)♪

ブラームスの「間奏曲」Op.116-4 を始めてからほぼ 1ヶ月。ここ数日は曲の途中で止まらないで「通せる」ことを目標に練習してきたが、最後の 2〜3日でかなり「一時停止」回数が減ってきた ♪ …ので、昨日でこの曲は終わることにした。

調子が良ければ一度も止まらずに弾けることも(ミスはあるが…(^^;)…)あるので、今回は「終了」ではなく「修了」と言いたい…(^^)♪





前回書いた「途中で止まらずに通して弾くこと」が出来ない問題であるが、今回は最後の数日でかなり改善できたと思う。

その理由の一つは、音の大きさが自分のイメージと違っても止まらない…と「決めたこと」だと思う。ある意味でそれは「打鍵(タッチ)のミス」なのだが、「結果としての音」が出た後には取り返しがつかない…。なので「諦める」…😢。

この「諦める」には(私の場合?)かなり勇気と忍耐がいるのだが、今回はそれが割とできたのだと思う。小さく弾くつもりの音が大きくても、打鍵が弱すぎて音が鳴らなくても止まらない勇気…(^^;)?


もう一つは「準備」と「ルバート」。

「準備が遅い」というのも、以前から意識している課題の一つである。例えば下の楽譜の左手アルペジオのある箇所。ここで右手の準備ができてないので、どうしてもこの和音のタイミングが遅れてしまうのだ。…で、それが気に入らないと弾き直すことになる。

その「準備」を意識することで、ここの「弾き直し」はかなり減った。

あとは、音楽的に問題のない範囲で「ルバート」すること。時間的な余裕ができることで次の準備がしやすくなるし、心の余裕もできる…(^^)♪




この「準備」の課題は、実は根本的な問題を含んでいるような気もしている。

それは「演奏者」と「聴き手」の意識とか気持ちの持ち方の違いである。音に対する聴き方の違いと言ってもいいかも知れない。

演奏者は音を次々に出して(演奏して)音楽を作り出していかなくてはいけない。つまり、実際の音が響く前に先行して「準備」と「操作」が必要になる。

一方、聴き手の方は、その音が伝わってきたときに受け止めればよい。

ほんのわずかな差であるが、そこには間違いなく「時間差」がある。さらに言うと、その音に対する姿勢の違い…「作り出す」と「受け止める」という違いがある。

私の問題は、自分で弾いていても「聴き手」の意識に近いのでは?…ということである。「先行して音を作り出す」意識が足りないような気がしている。

まぁ、あまり深くは考えてないので、一度「弾いているときの意識」みたいなことを検証?してみたいと思う。


全体的には、途中で止まる確率が減ったことに加えて、自分なりの気持ちを込めて弾くことが、ほんの少しではあるが出来たことがとても嬉しい ♪

やはり、年齢的にブラームスの晩年の心情を理解しやすい…ということもあるのだろうか? どこまで理解しているのか、自信はないが、この曲は地味に?気に入っている…(^^)♪


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