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2017年2月13日月曜日

『楽譜を読むチカラ』チェロ奏者からピアノ練習のヒント ♪

図書館でたまたま目についた『楽譜を読むチカラ』という本を読んでいる。

著者がチェロ奏者(ゲルハルト・マンテル)で、たまにはピアノ以外の視点も面白いかな…、と思いつつもそれほど期待しないで読み始めた。

…のだが、これが結構、ピアノの練習や弾き方にもヒントになるようなことがたくさん書いてあって意外に面白い。やや論理的?なのもわたし好み…(^^)♪




まだ半分しか読んでないが、いくつか書いておきたいことがあったので、まずは感想文その1である。(その2があるかどうかは未定…)

その前に、紀伊国屋書店の【プロの読み手による書評空間】というコーナーに載っていた書評が参考になったので引用しておきたい。

「チェリストの視点でピアノへのアドバイスが語られる」というところがこの本最大のキモである。ピアノの専門家がピアノの弾き方を語ると、どうしても視野が狭くなってしまう。ピアノで可能なことしか書かないからだ。そうではなく、ピアノを弾かない人が自分勝手に語ることの方がずっとおもしろいし、示唆に富んでいる事が多い。目先の奏法を云々するのではなく、楽器の垣根を越えた「音楽」という広い視野からの助言が貴重なのだ今井顕評 『楽譜を読むチカラ』…より)


ちなみに、原著の譜例はほとんどがチェロの曲らしいのだが、訳者の久保田氏によって、多くの訳注とともにピアノの譜例もたくさん盛り込まれているそうだ。日本語訳も読みやすい。


さて、本題である。

まず、気に入ったのが「曲をパラメーターに分解して別個に聴く・練習する」という話。原文の引用は下記。

●曲をパラメーター(リズム、デュナミーク、アーティキュレーション、テンポ、音色)に分解して、それぞれを別個に聴かなくてはなりません。

●こうして注意を向けるパラメーターを替えて、パラメーターごとに練習するのです。あるパラメーターを練習して、次に別のパラメーターを練習します。…


たぶん、練習の中で(部分的には)普通にやっていることだとは思うが、意識して体系的にやることはほとんどないのではないだろうか。このフレーズはリズムが難しいからリズムに注意して練習しよう、などというのはあるだろうが。

どのフレーズも「リズム、デュナミーク、アーティキュレーション、テンポ、音色」といった「パラメーター」から構成されていて、それぞれを別個に聴きながら練習するという考え方は新鮮だ。


次は弦楽器奏者ならではの視点。

●管楽器や弦楽器では、アルファベットのすべての子音を使って、音を立ち上げることができます。話し言葉の子音と楽器音の立ち上がりは完全には一致しないのですが、とてもよく似ています。つまり楽器のどの音も、b、p、d、k、t、s、w[ヴ] といった子音で始めることができるのです。

●フレーズの最後の音はどのように終わらせるのがよいのでしょうか。たとえば短く「ba」と終わるのか、それとも長く延ばして「baaa」と終わるのか、同様に「m」と短く終わるのか、鐘のように長く延ばして「Bam」と終わるかです。


これは考えたこともなかった。ピアノでは、タッチとかアーティキュレーションとかの話に近いのだろうが、「子音」の種類まで意識したことはない。

それと「最後の音の終わらせ方」、これは私のレベルが低いので、そもそもそこまで考えてなかったのだが、言われてみればナルホドである。少なくとも曲の最後くらいは意識してみるか…。


ちなみに、「音色」のところには「母音」の話も出ていて、弦楽器では弓の重さ・速さや弾く場所(駒からの距離)などで延ばしている音色自体も変わる、とのこと。

ピアノの音色については次のように書かれている。

●ピアノでも多くの音色を作ることができます。…ペダルを使えば音色の幅はかなり広くなります。…打鍵、アーティキュレーション、ペダルは、相互に補完し合う三要素です。これに和音の構成音ひとつひとつの強さの調整が加わります。どの音を一番大きく響かせるかで、同じ和音でありながら違った響きになりますね。


そして、これはぜひ身につけたいと思ったテクニックがこれ(↓)。

●「難しさを軽減するための休符」があります。これは…アーティキュレーションのための休符の一種で、テクニック的に難しいところや気分転換が必要なときに使います。(たとえば弦楽器の和音の直前…)

●また「難しさを軽減するためのリタルダンド」といっしょに用いますと、驚くほど美しい効果を生み出します。こうすればテクニック上とても難しいところであっても、音楽的にすぐれた効果を生み出すこともできるのです。


つまり難しいところで、ちょっと休符を入れたりテンポを落としたり(リタルダンド)してもいいんだよ、という話。

そういうやり方にはちょっと後ろめたさを感じていたのだが、「音楽的にすぐれた効果」を出すために積極的に使っていいということのようだ。さっそくとり入れてみよう…(^^)♪


もう一つやってみようかと思ったのが「ばかばかしいと思えるほど、一度大げさに表現してみる」という実験(練習方法)。

この本には、休符の長さやデュナミークなどについて「許容範囲」という言葉が何度か出てくる。で…

●表現についても同じです。ある部分を…ばかばかしいと思えるほど、一度大げさに表現してみることです。これは結構楽しく発見も多いものです。…求められているのは、曲をできる限り自分なりに解釈して演奏することなのです。

…というわけだ。

「趣味のよい演奏であるためには、どこまで許されるのか、そしてどこまですると、誇張やおふざけやまがい物になってしまうのか」というのは、自分で確かめて自分で決めるしかないということだと思う。

もちろん個人の好みなども関係するので一概には言えないが、プロの演奏でも「趣味のよくない」、少なくとも私の感性の「許容範囲」を超えたものに遭遇することがある…。


最後に、私が音楽鑑賞するときに感じていて、何と表現していいか分からないと思っていたことがズバリ書いてあって嬉しかった、という話。

●…この「大きな流れ」とは、実際に音が連続しているということでは決してなく、私たち自身が音楽を聴いて感じる音楽の「論理的な流れ」であるからです。


実際になっている音の連なりだけではなく感じる「うねり」みたいなものや、その裏に隠れているけれども感じる「音楽の流れ」のようなもの。それを「論理的な流れ」と表現しているのだと思う。


以上、感想文。以下、この本の「読書メモ」。ご参考まで。








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