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2015年5月14日木曜日

ショパン・コンクールの事前審査を聴いて:いい演奏とは

昨日、《左手の表現力?:ショパン・コンクールを聴いて》という記事を書いたが、実は「左手の表現力」以外にもいろいろと考えさせられることがあった。

ここ一週間ほど、ほぼ毎日ショパン・コンクールの事前審査の音源を、少しずつ聴いている。「いい演奏とは何か?」を考えるいい機会になったので、少し整理しておきたい。


最初は興味本位で、日本人12人の予想順位をつけようと思ったのだが、それはなかなか難しいことが分かってきた。聴くことが主体の音楽ファンとしては、どうしても好きな曲とそうでない曲で印象が違ってくる。それと、12人も聴いていると、比較が簡単にはできない。

途中から他の国の出場者も気になり始め、結局77人全員の演奏をザッピング(少しずつ拾い聴き)するという聴き方になってしまった。気に入った演奏があれば曲の最後まで聴くということにしたのだが、そういうピアニストはそれほど多くはない。


プロのピアニストを聴く場合、ある水準はクリアしているのが当然という前提で、それ以上のものを求めて聴いている。ショパン・コンクールの事前審査でそういう聴き方をしていると、いろんなことが気になる。

もちろん、出場者は修行の途中であり、これから世に出るための腕試しをしているわけだ。だから、プロの水準を期待してはいけないのだ、と思い直してはみたが、どうしてもブレハッチとかアヴデーエワとかを期待してしまうのだ。


それはさておき、「いい演奏とは何か?」を考える材料(反面教師?)である。

→参考記事:《「いい音楽・演奏とは?」を考えてみる…》


音楽を聴くのに「減点法」はふさわしくないと思うのだが、気になったことを少しあげてみたいと思う。

①聴かせどころでの「破綻」
②音色の深さ・厚みと多様性
③表現する意志?
④技術?:お団子・装飾音符・一本調子
⑤左手の表現力


①は、ミスまではいかないものの、聴かせどころで、とくにクレッシェンドなどで高速で盛り上がるところでの指のもつれのようなこと。これはとても気になる。ちゃんと弾けているのだが、ダイナミズムが持続しないというか、聴いている方が息切れを感じるような演奏もある。

理由は技術的なことなのか、気持ちの問題なのか、そのあたりはよく分からないが…。素人考えでは、たぶん両方なのだと思う。表現する意志と「胆力」のような力と、それを実際の音にする技術力、といった感じだろうか。


②の「音色」は、プロの演奏でもよく感じることであるが、いいと思う演奏はまず音色・響きが魅力的である。クリアなのに角がなく、深みや重厚感があるのにうるさくなく…。音楽は、音や響きで構成されるだけに、これはとても重要だと思う。

逆に、魅力的でない音色をあげてみると…。ツヤ・響きがない音、芯のない弱い音、うるさく耳につく強い音、たっぷり感のない低音、キンキンした高音、など。

さらに重要なのは音色の種類。多様性、というかピアニストの持っている「音のパレット」のようなもの。そして、そのパレットを適材適所で使う感性と技術。

魅力のない演奏では、強弱やアーティキュレーションの変化はあっても、曲を通して似たような音色になっていることが多い。ここという聴かせどころ(聴き手の期待感が高まる場所)で「いい音」が聴こえてこない。


③の「表現する意志」というのは曖昧な言い方であるが、聴いているとなんとなく感じるのである。つまらない演奏を聴くと、「このピアニストは何を表現したいのだろう?」と思ってしまう。ただ弾いているだけ?とか、この曲好きじゃないんじゃないの?と思うような演奏も、残念ながらあるのだ。

上手な人は、フレーズごとに何かを語ろうとしているような感じを受ける。リサイタルと「お稽古事」の発表会(レベルは高いにしても)くらいの差を感じてしまうこともある。


④は技術的なことなのかなぁ、と思いながらまとめてしまったが、原因はそれぞれ違うのかもしれない。

「お団子」というのは、音の一つ一つがクリアに聴こえずグシャッとかモヤッとした印象を受ける演奏を指している。これは聴き手の好みもあるかもしれないが、私はどんな細かいパッセージでも音の粒がはっきりしているほうが好きである。

装飾音符(的なパッセージ)は、たぶんショパンの曲のキモと言ってもいいのではないかと思っている。この(せっかくの)装飾音符が、なんの表情もなく弾かれてしまうと、聴いていてなんだか拍子抜けしてしまうのである。起伏がなく機械的につじつまを合わせている感じ?

「一本調子」というのは曲全体の印象を言っている。もちろん弾いてる本人は強弱をつけて、アゴーギク(ルバートなど)をつけて一生懸命に弾いているのだ。ところが聴いている方の印象としては、最初から最後までなんとなく平板であったような感じを受けるのだ。もしかすると、「一生懸命さ」だけが伝わって来るせいかもしれない。


⑤の「左手の表現力」については、昨日の記事《左手の表現力?:ショパン・コンクールを聴いて》で書いたので割愛するが、ピアノというのは両手で、10本の指で表現する芸術であることを、改めて感じた次第である。


…と、勝手なことを書いてきたが、「いい演奏」というのは、聴き手がこういうことを気にせずに、音楽を楽しむことに集中できることが最低条件なのかもしれない。

こう考えてくると、ピアニストを目指す人たちは、本当に大変なんだなぁと思う。12人の日本人出場者に心からのエールを送りたいと思う。



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