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2013年8月31日土曜日

「西洋音楽論」:①クラシック音楽はつまらないか?

「クラシック音楽はつまらないか?」という問いかけに答えるのは難しい。個人的には、クラシック音楽は好きだし、ピアノもクラシックを中心に練習している。

一方で、この本(↓)に書いてあるように、世間的にはそんなに盛り上がっていないし、今の時代のクラシック音楽が極めて少ない(不作?)であることに物足りなさを感じるのは確かである。(現在のクラシック音楽の状況についてはもっと勉強しなくては、と思うが…)

『西洋音楽論 クラシックに狂気を聴け』(森本 恭正 著)




古典文学や古典美術を鑑賞することは、ある人にとっては楽しみであり、ある人にとっては新しい文学や美術を生み出すための糧であったりする。

とはいえ、その中には「つまらない」ものもあるだろう。たとえば、源氏物語は素晴らしいのかも知れないが、個人的にはつまらないと思う。

同じように古典音楽も、いいものもあり、つまらないものもある。


問題は、時代の淘汰をくぐりぬけて残った「いいもの」であるはずのクラシック音楽も、その演奏会などに「退屈」なものがある(多い、といいたいが実態を知らないので…)ことだろう。

この本では「とりすました演奏を年寄りが分かったような顔して聞いている」と表現してある。その主な理由は「エキサイトメント」がなくなったこと、と著者は言う。何となく「世界歴史遺産」に似ているのかなあと、本を読みながら思った。


しかし、本当に問いかけるべきは、「どうすればクラシック音楽が魅力的なるのか」「エキサイトメントをもって現代に生き返るのか」ということであろう。

この本の中からヒントを探してみた。

①「楽譜というテスタメント(遺言)から人間の本態的な激情を読み取れ
 →演奏家がんばれ、ということ?

②「モーツァルトは17歳~19歳でヴァイオリンソナタを書いた
 →たぶんエキサイトメントを持って、年寄り向けにではなく
 →若手作曲家がんばれ、ということ?

③「伝統文化は成熟の果てに異分子との遭遇を経て、伝統の閉じられた領域を出て行く
 →「現代音楽」の混迷から抜け出し、新しい美しい音楽を作るべし
 →ヒントは「非西洋音楽」との遭遇・刺激?


とはいえ、商業主義が幅を利かせる現代において、若い作曲家や意欲的な演奏家がその力を世に問う場はあるのだろうか?とても心配である。



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