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2024年4月30日火曜日

「いい演奏」と感じる自分の好み・感性を理解したい

「J.S.バッハの全鍵盤作品を聴く」プロジェクトが順調に進んでいる。もともとバッハが好きで、ピアノ音楽も好きなので、とても楽しい作業になっている ♪

その中で、このところ「いい演奏」とか音楽鑑賞について少し妄想・迷走しているので、少し随想風に書いてみたい…。



妄想のきっかけになったのは「パルティータ第1番」。これまでに聴いたことのある演奏や初めて聴くピアニストの演奏も含めて数人の演奏を聴いたところでふと思ったのだ。どの演奏もなかなか良くて、選べないなぁ…。

で、こんな感想(↓)を書いた。

「演奏の選別やランキングが目的ではないので、気にはしていないのだが、自分の好み(の本当のところ)を理解したい…という気持ちもあり…贅沢な悩みは深まるばかり…(^^;)?」

ここに書かなかった「悩み」?を今日になってメモってみるか…というのがこの記事なので、読み飛ばしてもらった方がいいかもしれない…(^^;)。


私の中には「いい音楽を十分に味わいたい」という気持ちがある。そのためにも、いい演奏とそうでない演奏の違いを理解したいと思っている。

理解したことを人に説明したいとかではなく、自分がどんな演奏を求めているのか、どんな演奏が好きなのか、どんな演奏に感動するのか…といったことを知りたいと思うのだ。


そういうことが分かったとして、いい演奏(だけ)を味わえたとして、そのことにどんなメリットがあるのか?(鑑賞の楽しみそのもの以外に…)

まず、自分の下手なピアノの練習に何らかのプラスがある…かも知れない。聴くだけで上手くなることはないにしても、出したい音や表現方法のお手本になるだろうし、目指す方向性のようなものの参考にはなるだろう。

知らず知らずのうちに音楽に対する感性が磨かれて、それが無意識に自分の弾き方に影響を与えることもあるかも知れない。いや、あって欲しい…(^^;)。


それから、精神面でのプラスもあるといいと思う。「音楽(芸術)は心の栄養」とかいい音楽を聴くと「心が豊かになる」とか言われることがあるが、深い意味でそうあって欲しいと思っている。でも、その内容は実はよく分かっていない…(^^;)。

その場限り…というか短期的な影響(癒し・慰め・励まし・元気づけ…)ももちろんあると思うが、人間としての成長と言えるような長期的な「精神のありよう」の進化・深化がいい音楽を聴くことで促されるといいのだけれど…。


いい演奏を聴くことによるそういうプラスがあるとして、逆に「いい演奏」でないものを聴いたときはどうなんだろう?

「違いが分かる」という言い方がある。いい演奏とそうでない演奏の違いが分からなければ、「いい演奏」でないものを聴いても楽しめたりするのか?

まぁ、「いい演奏」と言っても、結局は個人の「好み」になるのかも知れないが…?


実は、パルティータの演奏をいくつか聴く中で、途中で(わりと早い段階で)聴くのをやめた演奏もある。その中の一人は某ピアノコンクールで優勝した若いピアニスト。

音はきれいなのだが、弾き方が色んな点で私の好みとはかなりずれていた。

右手と左手のバランスがギクシャクしているし、表情の付け方もわざとらしい(技術的にこうも弾けるというのを披露しているだけで音楽をどう作っていこうとしているのかが見えない)、結果として音楽・作品に対するリスペクトや誠実さを感じることができない。

まぁ「違いが分かる」と言っても、自分の好みの演奏とそうでない演奏の違いが分かるだけで、「いい演奏」とそうでない演奏の違いが分かることにはならないとは思う。


余談ではあるが、一つの疑問…。

同じ演奏を何度か聴いていると、その度に印象が変わることがある。一度聴いて気に入った演奏をあとで聴くとそうでもなかったりすることもある。

あと、他の演奏をいくつも聴いていると最初の方で聴いた演奏の印象が変わってきたりする。これは何なのだろう?

自分の中に複数の(場合によっては矛盾する)「好み」が混在していて、その時々でどの好みが一番強くなるか…みたいな現象が起きているのだろうか?

確かに、穏やかで柔らかい音の響きを聴きたいときと、溌溂とした活き活きとした音楽の方が心地よいときとかあるかも知れない。

一方で、いつ聴いても何度聴いていも「いいなぁ ♪」と思う演奏(音源)も存在する。


…と、予想通り?とりとめのない展開になってきたので、ここら辺で筆を置くことにする。

これを書きながら、5〜6人ほどの「パルティータ第2番」を聴いていたのだが、やはり悩みは深まるばかり…(^^;)。



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