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2019年8月24日土曜日

アルマ・ドイチャーの「クラシック音楽」と「現代音楽」…

昨日の記事《モーツァルトの再来?Alma Deutscher を知ってますか?》を書きながら、色々と考えさせられたことがある。

「クラシック音楽」と「現代音楽」のこと、欧米のクラシック音楽界の底力みたいなこと、日本でアルマ・ドイチャーの来日があまり話題にならなかったこと…。




最初に思ったのは、アルマ・ドイチャーが作る音楽は「現代音楽」ではないということ。それは音楽を聴けばすぐに分かるし、作曲者の名前を知らずに聴いたら 18世紀の音楽だと思ったかもしれない。

多くの賞賛を受ける一方で、「過去の音楽である」といった批判もあるようで、まぁ、そういう意見もあるだろうと思う。

それに対して、12歳くらいのアルマはこの動画(↓)で明快に答えている。

🎦Why music should be beautiful...


私は過去の音楽言語で作曲している、21世紀の現代でそれは許されない、という人がいる。…今の世の中はもっと複雑で、それを表現した音楽を作るべき…とも

私は世の中が複雑で醜いこともあることを知っている。でも、だからと言って、醜い音楽を作って世の中をさらに醜くすることに何の意味があるの?

思わず同感…(^^)!♪


この動画の中で、アルマの音楽の原点を語っている。

小さい頃、親が買ってくれた子守唄の CD を毎晩聴いていた。その中の R.シュトラウスの「子守唄」にとても惹かれて、3歳のアルマはこう問いかけた。

"How can music be so beautiful?"
(音楽ってどうしてこんなに美しくなれるの?)

そういう美しい音楽を自分でも作りたくて、4歳から作曲を試みるようになる。

R.シュトラウスのように美しい音楽は作れないかも知れないが、頑張りたい…

…と言う。ちなみにコレ(↓)がその子守唄 ♪

 Anna Netrebko; "Wiegenlied"; Richard Strauss


この動画では、大人びた一面も見せている。

世の中の醜さを知りたい人は、私のコンサートに来なくてもいいのよ。TVニュースを見ればいいのだから…

コンサートに来る人は美しい音楽を、心に届く音楽を聴きたいと思っているはず。私はできる限り美しい音楽を作りたい。世の中をもっといい場所にするための音楽を…

"music which makes the world a better place" という言い方もすごい。

「グーグルの創業者のラリー・ペイジとセルゲイ・ブリンが世界を変えたように、私も世界を変えたい」と語ったこともあるそうだ。大志を抱く音楽家だ…(^^)。


アルマのインスピレーション(メロディーやアイデア)は「休憩しているときとか、即興でピアノを弾いているときとか、縄跳びをしているときなど」にやってくるそうだ。

頭に浮かんだメロディーやハーモニーから自分が美しいと感じるものを、本当に素直に、何の邪心もなく(これまでにない音楽をとか、現代音楽にふさわしいとか考えずに)作り上げる…ということなのだろう。

心から湧き出た音楽を形にする、その美しいメロディーやハーモニーは聴く人の心に届く…。何だか「音楽」の基本を教えられているような気もする。

子供だから賞賛される、あるいは許されるという面もあるのだろうか? 大人の作曲家が同じようなものを作ったとしたら…?

でも、現代クラシック音楽のあり方に一石を投じているような気もするのだが…?


それにしても、作品そのものを評価して、演奏機会や支援を与え、オペラの上演という相当な規模のお金や多くの人々の協力が必要なことをやってのけるという…欧米のクラシック音楽界の底力のようなものを感じてしまう。

そこには、もちろんいいものを素直に評価する聴衆の存在も大きいのだろう。

日本だと、音楽そのものよりも「物語性」のようなことだけが、とり上げられがちである。過去には「佐村河内事件」という恥ずかしい出来事もあった…(^^;)。

そう考えると、アルマ・ドイチャーが 2015年に来日した際、「神童という物語性」があまりメディアにとり上げられなかった(たぶん…)のはちょっと不思議な気もする。

もともとクラシック音楽に対する日本のメディアの感度は低いし、アルマの作品や演奏を聴いてないかもしれないし、聴いたとしても価値を判断できなかったのかもしれない…。

やはり、クラシック音楽というのは「西洋の音楽」という感覚が大きいのだろうか?

でも、例えば日本の小学生が「歌舞伎」の新演目を創ったとして、果たして上演にまで至る可能性はどのくらいあるのだろう? 文化に対する意識の低さもありそうだ…。


私自身、ピアノ音楽がメインではあるが「クラシック音楽」は好きだ。でも、その延長であるはずの「現代(クラシック)音楽」の中には「コレいいなぁ♪」と思う作品はそう多くはない。逆に「コレ嫌だなぁ…」と思う現代作品に遭遇することは多い。

「不快な現代音楽」というものが確実に存在すると思っている。アルマの言葉で言えば「醜い音楽(ugly music)」ということになるのだろう。

職業作曲家が、何か新しい音楽を求めていろんな試みをすることは当然だし、とてもいいことだと思う。だけど、その出来上がった作品に対しては「美しくあってほしい」と私は思う。「美しさ」の中身はもちろん多様であっていい。


アルマ・ドイチャーの作品がどの程度のものなのか、後世に残るようなものなのか、私にはまったく分からない。でも、「美しい」と感じる部分があることは確かだ。

音楽の様式として古いことが、その音楽の価値を低くするのかどうかも分からない。

「時代様式」というが、それはモーツァルトとかベートーヴェンとかの「個人」が、より美しい音楽を求めて試行錯誤した結果としての「道筋」に、後世の学者たちが名前をつけただけのものである。

まぁ、Alma Deutscher の名前が後世に残るかどうかは、歴史が後から証明することだ…。個人的には、もう少し成長したアルマがどんな作品を書くのかに興味がある…(^^)♪



【関連記事】
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2 件のコメント:

  1. 全くの偶然から音楽配信サイトで聴きました。調べてみるまで彼女のことは知らず、18世紀ごろの「クラシック音楽」かと思いましたが聴いたことのある曲はなく、調べてみて「現代の」音楽であることが分かりました。
    なんと言っても、その美しさ、素直さ、そしてその演奏スタイルも心に響くものがあるます。「世の中が複雑で醜いからといって醜い音楽を聴くことはない」という言葉にも同感です。世の中、捨てたものでもない、というのが実感ですね。

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  2. 盛りそば さん、コメントありがとうございます。
    アルマ・ドイチャーの音楽や考え方に対して、私と同様の感想を持たれた方がおられてとても嬉しいです ♪ 毎日のニュースから見えてくる「複雑で醜い」世の中だからこそ、彼女のような素直さが光るような気がします…(^^)♪

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