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2017年8月14日月曜日

ピアノ演奏の聴き方の多様性?:アムランのガーシュウィン

少し前の記事《もっと色んなピアノ曲を聴いてみようと思った ♪》でご紹介した Medici.tv から次のようなタイトルのお知らせメールが届いた。

"Kent Nagano conducts Barber, Gershwin, and Shostakovich — With Charles Richard-Hamelin"




シャルル・リシャール=アムランがガーシュウィンの「ラプソディー・イン・ブルー」を弾くというので、しかも時間としても土曜日の朝8時から(朝食後ゆっくりしている時間帯)だったので、聴いてみることにした。

ショパンコンクールの演奏くらいしか聴いたことがないのだが、なぜかアムランとガーシュウィンという組み合わせがピンとこないので、どういう演奏をするのか興味津々だった。


感想としては、ある意味「新鮮」な「ラプソディー・イン・ブルー」だった。変な言い方かも知れないが「クラシカルな」演奏という印象。「端正」な?ガーシュウィンと言ってもよい。

個人的にはもう少しノリのいい、はじけた、ジャズに近い演奏の方が好みではあるが、これはこれでなかなか聴きごたえのある演奏である。「この曲はクラシック音楽だったんだ」と思ったりもした…(^^;)?


で、ここでちょっと面白かったのが、ウチのカミさんの感想。

カミさんはとても良かったと言っていた。演奏会場はスタンディング・オベーションだったのだが、それに近い感じ方だったようだ。演奏の途中では「よく練習したのね〜」なんて、変な賛辞?もつぶやいていた。

まぁ、演奏自体の好みや感じ方は人それぞれなので、それはよいのだが…。面白いのは、カミさんの場合、「ピアノの先生」的な感想がときどき出てくるので、私の方では「へ〜っ、そこなんだ〜」などと感心?しながら聞いていたりする。


似たようなことが、この少し前にもあった。

8月6日に放映された「クラシック音楽館」で、河村尚子さんが弾くサン=サーンスの「ピアノ協奏曲 第2番 ト短調 作品22」(パーヴォ・ヤルヴィ指揮 N響)を聴いたときのこと。

私にとっては、あまり聴き覚えのない曲だったのだが、わりと好みの作品だった。…のだが、途中で思わず呟いたのが「ホントはもっといい曲のような気がする…」という一言。

河村さんはわずかのミスもなく一生懸命弾いている。まぁ「うまい」演奏だと言っていいと思ったのだが、なぜか面白くない。曲の良さ・「旨味」みたいなものが今ひとつ伝わってこない。聴いていて心が高揚してこないのだ。


この演奏を一緒に聴いていたカミさんの感想が、アムランに対するものと似ていたのだ。「よく弾き込んでるね〜」「手が小さいのによく弾いてるね〜」「一生懸命だよね…」。

プロなので「一生懸命さ」が表に出てはいけない、という点については、カミさんと私の意見は一致した。…が、カミさんは「良かった ♪」、私は「今ひとつだった…」という点では意見が分かれた。


ちなみに、何となく釈然としない思いを持ちつつ、その後 YouTube でソコロフの演奏で同じ曲を聴いてみた。


素晴らしい演奏だった。「もっといい曲」じゃないのかな?と思った私の直感は正しかったと思う…(^^)♪


それにしても、同じ演奏を聴いても、これだけ感じ方や見方が違うというのは面白い。私にとっては、カミさんのような(元)「ピアノの先生」の意見は、ピアノ練習のポイントという意味で、けっこう参考になったりする。

「姿勢がいいわね〜」「指の形がきれいね〜」「手の重みが鍵盤に伝わってないね〜」「肩上がってる(力んでる)ね〜」等々。ピアノの先生にとっては「音」より前に「形」(弾き方)が気になるものなのだろうか?

ちなみに「ホールでスタインウェイ」のときの写真に写った姿勢が良くなかったので、最近ピアノ演奏の動画を見るときは、私も「姿勢」を気にしたりはしている。



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