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2017年1月20日金曜日

音楽による会話 ♪?音楽が伝わる通り道?

ピアノや音楽に関する本などを読んでいると、「音楽による会話」とか「音楽はコミュニケーション」とかといった話がよく出てくる。



いま読んでいる『Aをください―ピアニストと室内楽の幸福な関係』という本にも、こんなこと(↓)が書いてある。

「良い室内楽を創りあげるには音楽的会話が必要だ」
「室内楽の喜びとは、音楽でお互いに会話ができたとき…」


室内楽の中でのピアノの話なので、演奏者どうしの「音楽による会話」が中心になっているが、もちろんその先には「聴衆との(音楽による)会話」がある。


この「音楽によるコミュニケーション」という話は「なるほど」と思うのだが、一方で、どこか深くは分かっていない、という気もしている。

それはたぶん、室内楽などの「合奏」の経験がない、それどころか自分がピアノを弾いて誰かに聴いてもらったことさえない、ということが大きいのだろうと思う。


では、聴衆として、リサイタルで例えばルカ君(リュカ・ドゥバルグ)の演奏を聴いているときはどうか?

ルカ君はピアノで何かを表現しようと一生懸命である。その様子は見るだけでも分かる。聴いているこちら側も、音楽を通していろんなことを感じている。ただ、私が感じたことは演奏者に何かしら伝わるのだろうか?

客席全体の雰囲気などによって、ある程度は伝わるのだろうが…。まぁ、演奏中に客席側からの何らかのフィードバックによって演奏者もさらに盛り上がるようなことも、クラシックの演奏会でもないとは言えない。


…などと考えていたら、急に理工学的な?妄想が湧いてきた。

つまり、ピアノを弾いている指から聴衆の耳の間には長い「音楽の通り道」がある、ということ。簡単にその「通り道」をなぞってみると…。

ピアノを弾く指
鍵盤
ハンマー(アクション)
共鳴板
ピアノの周辺の音響
空中に放出される響き
聴く人


これは、物理的な話で、これに音楽のイメージとか感情とか表現とかを考えると、演奏する側には「心(脳)→神経→筋肉」、聴く側には「鼓膜→脳(音の認識)→脳(心)」という通り道が追加されるのだろう。

一人で練習しているときも、ほとんど同じ「通り道」があって、「ピアノ周辺の音響」から「=聴く人(弾いている人)」に音が届くという違いだけである。


ところで、理工学的発想からすると、ここに示した「通り道」は「通信路」であるにすぎない。コミュニケーションが成立するには、まずこの通信路にデータ(情報)を流す必要がある。

そして、そのデータの「解釈」「解読法」については、発信側(演奏者)と受信側(聴き手)とで同じであるという前提が必要となる。でないと、情報の内容が正確に伝わらない、あるいは誤解されることになってしまう。


まぁ、これは通常の言葉による会話の場合でも同じことが言える。言語体系が同じで、単語の意味の捉え方が同じで、さらには慣習のようなものや文脈の理解があってないと、思わぬ誤解を生じたりするものである。

音楽の場合は、言葉よりも漠然としていてつかみどころのないものなので、より一層正確なコミュニケーションは成り立ちにくいとも言えるかもしれない。


しかし、一方で我々が音楽を好み、いい演奏を求めて聴きに行き、自分でも楽器を弾いたりするのは、音楽でしか伝えられない何か(価値あるもの)があるからであろう。

その「音楽でしか伝えられないもの」をもっと知りたいと思うし、可能であれば、それを自分の弾く音に乗せる技術を身に付けたいと思う。


「妄想」はさらに展開していくのだが、上手(なはず)なのに面白くないピアノ演奏というものに出くわすことがあって、それは何故なんだろう?という疑問がずっとある。

上の図式に照らしてみると、原因としては二つのことが考えられる。

一つは、この「音楽の通り道」(通信路)に乗せる「音楽で伝えるべき価値あるもの」(情報)が無いか、希薄である場合。

もちろん、その「情報」が私には理解できない(いいと思えない)という場合もありうる。


もう一つは、「音楽の通り道」が途中で切れていて、聴き手まで「情報」が届かない場合。

つまり、伝えるべき「音楽的イメージ」のようなものは演奏者の心(脳)の中にあるのだが、「→神経→筋肉→指→鍵盤→ハンマー→弦→」のどこかで「通り道」が切れてしまってる場合。


聴いていて、これは好きとか嫌いとか、ちょっとやり過ぎじゃない?とかいいねぇ〜 ♪とか思えるのは、「情報」は伝わってきているのだが、それに対する聴いている私の判断が分かれる場合なので、通信路も情報も問題ないのだと思われる。

問題なのは、このピアニスト、ホントにこの曲好きなのかなぁ〜?弾きたいと思ってないんじゃないの?と感じる場合。つまり何も伝わってこない演奏だ。

「楽譜通りに弾く」という言葉があるが、「楽譜の表面的な記載内容は一通り音にしてみました」みたいな演奏と言っていいかもしれない。それはちょっと違うだろう!と思うのだが…。


素人が、自分のことを棚に上げて、ちょっとおこがましくも言ってみると…。

この「音楽の通り道」の「心(脳)→神経→筋肉→指→鍵盤→ハンマー→弦→…」あたりに神経が行き届いているか、「ピアノの周辺の音響」をちゃんと聴いてフィードバックできているか、あたりがキモになるのではないかと思う。

たぶん「表現技術」などと説明されている部分に当たるのかもしれない。


…と、勝手に「妄想」が走り回ってしまったようなのでこの辺で…。ご静聴(読)ありがとうございました…(^^;)。



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