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2016年3月27日日曜日

ソルフェージュがだめなら作曲があるじゃないか!?


「音を奏でる指」を持ちたい! 少なくとも、音のイメージと鍵盤のイメージとがもう少し近い感覚を、なんとかして持てないものか? でも、ソルフェージュをやるのは面倒くさいし、しんどそうだし…。

という話であった。


で、突然、最近見た「プロフェッショナル 仕事の流儀」の映像を思い出した。その中で、作曲家の佐藤直紀さんが、ふんふんと鼻歌を歌ったり、口笛でメロディーを確認したりしながら、目の前のキーボードで打ち込みながら(音符を入力しながら)作曲の作業をしていたのだ。

これって、頭に浮かんだメロディーがそのまま鍵盤に移されている、ということではないか…。つまりソルフェージュ。

作曲家にはソルフェージュ能力が必須である。それを逆手に取ると、作曲をすることは、ソルフェージュの訓練に(少しは)なるのではないか? と思ってしまったのだ。


「作曲」というものには、前から憧れのようなものがある。できることなら一度はやってみたいと思っていた。自分ではできないだろうとは思いながらも…。

ピアノを始めてからは、自分の技術レベルで弾けるいいピアノ曲が作れるといいな、とときどき思う。弾きたい曲はほぼ私の能力を超えている。弾ける曲はつまらない…ことが多い。じゃあ、自分の実力で弾けるいい曲を作ればいいじゃないか!?


ピアノの練習という側面からいうと、弾きたい曲を弾けるように練習をする、実力を上げるというのが本筋だろう。でも、この歳になるとそれはそう簡単なことではない。でも、作曲はそれ以上に、簡単なことではない…(^^;)。

まともに考えれば八方塞がり。でも、そこは素人の道楽、難しく考えることはない。やってみてダメならやめればいい、それだけのこと。まずはお気楽に始めてみるとするか…。曲を作るのが目的ではなく、ソルフェージュの代わり?として。


実は、もしかしたら作れるかも…、と心の片隅で思っている。その根拠は「現代音楽」。

ときどき思い出したように現代音楽(同時代音楽)を聴きたい、分かりたいと思う。このところ、久しぶりにそんな気分になっている。

いろいろ聴きかじっていると、実に千差万別、いろんなパターンが出てくる。なんでもあり…、自由なのである。

調性がない、つまり難しい和声学を考えなくてよい(ホントはそんな訳ないのだろうが…)。形式も自由、フーガみたいなルールもない、ということは「間違い」というものが基本的にない(ホントか?)。


そして、割と気に入っている作曲家の一人、アルヴォ・ペルトを聴いていると、とても少ない音で作られたいい曲がある。そういえば、サティなんかもそうだ。

なので、聴きかじった音楽の中で、気に入ったパターンを真似すれば、何かそれらしい音楽ができるかもしれない。(大いなる誤解・思い違いかもしれないが…)

我ながら、あまりにいい加減という気もしないではないが、「見る前に跳べ(Leap Before You Look)」という言葉が正解という場合もあるだろう…。


で、名曲を作ろうとするのではなく、ソルフェージュの勉強代わりに、楽しくピアノで遊べないか…くらいの軽いノリで始めてみようかという訳である。

方向性(曲のコンセプト?)としては、

・自分の実力で弾ける難易度
・大人が弾いて自己満足できる
・気持ちよく弾ける
・ちょっとだけ現代音楽の香り

…といった感じで、どうだろう?(自問)
…いいんじゃない ♪(自答)


当面の目標としては、思いついたメロディーを音符に書き起こせるようになること。頭に浮かんだ音やメロディーと楽譜や鍵盤のイメージが、少しでも近づくこと。

その先に「音を奏でる指」がある。いつの日か、「自分で音楽を奏でている・紡ぎ出している」という感覚を持ちながら、気持ちよくピアノを弾いている自分がいる。

…という「最終ゴール(vision)」を思い描きながら、とりあえずは「ソミミファレレ…」レベルの「そるふぇーじゅ」的アプローチで「作曲遊び」をしてみようかと…。



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