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2015年4月16日木曜日

ピアニスト・チェックで思ったこと

1カ月ほど前に『ピアニストの系譜』という本からリストアップした「聴いてみたいピアニスト50人」の一覧表から、少しずつYouTubeの音源を聴きながら、お気に入りピアニストを探している。

ほぼ半分まで来たが、演奏をチェックしながらちょっと気になったことがあるので書いてみる。「いい演奏」とは何かにつながることだと思われる。



聴いた感じでAとかBとか(のランク?)をつけているのだが、これはほぼ「第一印象」であり私自身の「好み」である。

ただ、自分自身の「好み」も、最近やや自信がなくなってきている。

例えば、昨日聴いたクリスティアン・ツィメルマンのベートーヴェン。有名人だけあって、その演奏は完璧である。お手本のような演奏だ。ところが、なぜか惹かれないのである。面白くない、と言っては言い過ぎかもしれないが…。

それから、ショパン。何人ものピアニストが弾いているので、何度も聴くことになる。好きな作曲家ではあるのだが、それだけに自分の中に曲のイメージができている。無意識にではあるが、それと比較して判断しているのではないかと思う。


音楽を聴いて楽しむのは「好きな曲をいい演奏で聴きたい」というだけのことだが、演奏家はけっこう大変なのかも知れない。

つまり、聴き手が「こんな曲」というイメージを持っている場合、そのイメージから外れてしまうと「期待はずれ」になってしまう。といって、イメージ通りの演奏だと「面白くない」ということになる可能性もある。(知らない曲だと、そういうことはないのかも知れないが…。)


そういう意味では、クラシック音楽の演奏家は「因果な商売」である。何万回も演奏されてきた曲を、自分なりの独自性・解釈も盛り込んで聴衆に提示しなくてはならないのだから。

聴衆は勝手なので、いままで通りだと、どんなにいい演奏をしても面白くない・新規性がないと言われるかもしれず、あまりにも独自の解釈で表現すると、下手すると酷評されるかもしれない。「独自」路線で成功したグレン・グールドという巨匠もいたが、誰でもがグールドにはなれないだろう。


だから、聴き手(私)が求めているものは、「新鮮味のある演奏」であり、かつその新鮮さが「好ましい」ものである、ということになるのだろう。「新しい演奏/音響 + プチ感動」みたいな図式?

その「新鮮味」の元となるのは、ピアニストの「解釈」と「表現力」なのだと思う。しかし、よく言われるように、演奏は作品(作曲家)に忠実であるべきか、演奏者(の感情など)の表現に重きをおくべきか、という問題もある。


ただ私自身は、音楽を聴いていて、演奏家が作品をどう解釈しているか、などと考えてはいないし、考えてもたぶん分からないと思う。

なので、結局は「表現力」になるのだろうと思っている。われわれ素人以上に深く音楽を考えているはずのピアニストの解釈、あるいは心の内はいざ知らず、表に出てきた「音」が魅力的であれば、それで十分に音楽を楽しめる、のではないだろうか。


…話が少し理屈っぽくなってきあ。

いずれにしても、私としてはいい音楽・演奏を楽しめればいいので、これ以上深く考えるつもりはない。今回は「A/B/C」などと「採点?」をしているので気になっただけである。まぁ、「いい音楽って何?」を考えるいい機会にはなったと思う。



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