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2015年2月10日火曜日

アンデルシェフスキ、バッハを語る

KAJIMOTOのニュース・ページに「J.S.バッハを語る」というアンデルシェフスキのインタビュー記事が載っていた。

音楽評論家の青澤隆明さんによるインタビュー記事で、4回連載予定の第1回目。2月25日に東京オペラシティで、バッハの フランス風序曲とイギリス組曲第3番(とシューマン)をやるので、それに合わせた企画記事。インタビュー自体は去年の来日時に行ったもの。

対談なので、雰囲気やニュアンスは記事を読んでもらったほうが分かりやすいと思うので、軽く私の感想だけ…。※追記@2022/10/19:元の記事は削除されたかも…(^^;)


あれっ?と思ったのは、バッハに対してやや距離を置いているように見えること。プロフィールには『バッハ:バルティータ第1番、第3番、第6番』のCDがグラミー賞にノミネートされた、とあったので意外な感じがした。(このCDは、今回の来日を機に再発売されている↓。)



バッハとの音楽的な出会いは「19歳か20歳の時」ということで、それまでは「バッハは私にとって、まったく親しいものではなかった」と言っている。

面白いのは、演奏することと「音楽観」を分けて語っているところ。こんな感じ(↓)。

「というのも、バッハでは、私なりの演奏法を見つけた。まず、音楽に対して自分の感性や夢というものがあって、それからかたちを与えていくわけで……」

「純粋に音楽について話しているのならば、私にとってバッハはもっとも近い作曲家ではない」


アンデルシェフスキ自らが「ちょっと複雑だけれど…」と言っているように、トップ・レベルのピアニストの頭の中とか感受性は我々には理解できない部分もあるのかも知れない。

シマノフスキ、シューマン、ショパンや、とくにベートーヴェンの場合は「完全に一体となったと感じる瞬間がある」のだけれど、バッハは違う、「自分がバッハを理解できたと感じたことが決してないんだ」と語る。


もちろん、あれだけの演奏をするアンデルシェフスキのことだから、「完全に一体となる」「理解する」というのは、相当に高いレベルのことを言っているのだろう。そういえば、彼には「求道者」のような風貌もある…。

「ごく初期からそう。それから、自分で拒絶して、また戻ってきたから、ちょっと複雑だけれど…」というところで、次回に「(続く)」となっている。次回以降で、そのあたりの「複雑さ」が語られることに期待したいと思う。



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