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2015年2月25日水曜日

ハンガリー:ピアニストの系譜(4)

ハンガリーのピアニズムで歴史的に重要なのはフンメルとリストである。その後、民族音楽の研究などでハンガリー音楽に一つの特徴を与えたのがバルトークとコダーイだ。

バルトークとエルンスト・フォン・ドホナーニ、フェレンツ・ラドシュの3人から多くの傑出したピアニストが出ている。ラドシュ門下のアンドラーシュ・シフがその中でもひときわ輝いている。


 『ピアニストの系譜』
 (真嶋 雄大 著、音楽之友社 2011/10/5)

  読書メモ4:ハンガリー

  本の紹介・目次は→《本「ピアニストの系譜」》


ハンガリーのピアニストとして音楽史に残るのは、作曲家としても有名なヨハン・ネポムク・フンメル(1788〜1837)とフランツ・リストである。フンメルは、シューベルト、メンデルスゾーン、ショパンなどにも多大な影響を及ぼしている。

ハンガリーのピアニズムを語るとき、忘れてならないのがベーラ・バルトークである。彼はリストの弟子であるイシュトヴァン・トーマンにピアノを学んでいる。

バルトークは、1905年のアントン・ルビンシテイン国際音楽コンクールに出場したが、ヴィルヘルム・バックハウスが1位となり、2位に甘んじた。この結果に非常に落胆した彼は作曲家の道を目指すことになる。

バルトークの弟子には、リリー・クラウス、ジェルジ・シャーンドル(ジョルジ・シャンドール)、ゲオルグ・ショルティ(指揮者)などがいる。

シャーンドルは、リスト音楽院でピアノをバルトークに、作曲をコダーイに師事し、バルトークのピアノ協奏曲第3番を初演するなど活躍したピアニストである。教育者としてもエレーヌ・グリモーなどを育てた。また、このブログでもとり上げた『シャンドール ピアノ教本』(参照:《読書メモ  記事一覧》)などの著書も残している。

もう一人のハンガリー・ピアニズムの雄がエルンスト・フォン・ドホナーニ。その門下には、ミッシャ・レヴィツキ、エルヴィン・ニレジハジなどがいる。

ニレジハジというのは、二度の失踪など波乱万丈の生涯を送った天才ピアニストらしい。行方不明の彼を日本のファンが見つけ出して2回来日もしたようだ。映画や小説にでもなりそうな話だが割愛する。(興味ある方はWikipediaでもどうぞ…)

さらに忘れてならないのが、フェレンツ・ラドシュ(1934〜)だ。かつて「ハンガリー三羽ガラス」と呼ばれたデジュー・ラーンキ(1951〜)、ゾルタン・コチシュ(1952〜)、そしてアンドラーシュ・シフ(1953〜)を育てたことで有名である。

私の中では、何と言ってもアンドラーシュ・シフが別格であるが…。

《お気に入りピアニスト:Andras Schiff》

《バッハ:パルティータの名演、やはりシフがいい!》

ちなみに、デジュー・ラーンキは今年のラ・フォル・ジュルネに奥さんのエディト・クルコンと息子のフュロップ・ラーンキとともに登場する。→《ラ・フォル・ジュルネ2015出演ピアニスト》

若手の中で聴いてみようと思ったのは、J.S.バッハ国際コンクール最高位のコルネリア・ヘルマン(1977〜)、アルトゥール・ルービンシュタイン国際ピアノコンクール優勝のキリル・ゲルシテイン(1979〜)である。二人ともラドシュ門下だ。


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