《2018年来日ピアニストのチェック(続)》
まだ半年なのにもう8割以上終わったということは、今年は前半に集中しているってこと?でも、今後発表されるリサイタルなどもあるので、あと何人かは増えるだろう…。
で、今日はヴァディム・ホロデンコ。名前は聞いたことがあるような、ないような?
©Ira Polyarnaya |
ヴァディム・ホロデンコ(Vadym Kholodenko)は、1986年ウクライナのキエフ生まれ。モスクワ音楽院でヴェーラ・ゴルノスタエワに師事。
2010年第4回仙台国際音楽コンクール、2011年シューベルト国際ピアノコンクール、2013年ヴァン・クライバーン国際ピアノコンクール、と立て続けに優勝。2007年に結成したアンドレ・ググニンとのピアノデュオ "iDuo" でも、2008年サンマリノ国際ピアノコンクールで2位になっている。
✏️Vadym Kholodenko 公式サイト
YouTube を見ると、結構たくさん音源が上がってる。その中から、比較的新しい(2016年6月)リサイタルのライヴ動画を聴いてみた。
♪ Vadym Kholodenko - recital at Mariinsky Theatre
最初の曲はシューマンの「4つの夜曲 Op.23」。出だしの音を聴いて「いいかも…」と思った。…のだが、あまり時間が経たないうちに何だか退屈な感じになってきた。
曲のせい?かとも思ったが(ちなみにあまり聞き覚えのない曲だ…)、どうもそうでもなさそうだ。音も十分に響いていてうまいと思うのだが、今ひとつ引き込まれない。
盛り上がる部分でも、達者なタッチ?でいい響きを出しているのだが、音楽としての盛り上がりをあまり感じない。不思議な印象…(^^;)?
次の「フモレスケ Op.20」でも印象はあまり変わらず。きれいに&しっかり弾いているのに面白くない、なぜだろう?
続いて、スクリャービンが2曲。「24の前奏曲 Op.11」は、この中では一番私の好みにあっていた。割と好きな曲だということもあるかも知れない…。
このピアニストはスクリャービンがあっているのかも、と思いながら聴いていたら、次の「幻想曲 Op.28」でまたシューマンと同じような印象に戻ってしまった。
何だか釈然としないまま、もう一度、音源を拾い聴きしてみた。
感じたことを振り返って見ると、一つは聴き終わったときに耳が(脳が)疲れてくる感じがあるような気がする。聴いている途中でも「お腹いっぱい」感を感じるときも…。
何となく、音が押し付けがましい?といった感じなのだが、弱い音も含めて「音が詰まっている」ような印象である。よく言えば「充実感のある音」? もしかすると、抜くところ(緩急の「緩」)があまりないのかも知れない…。
感じたことを振り返って見ると、一つは聴き終わったときに耳が(脳が)疲れてくる感じがあるような気がする。聴いている途中でも「お腹いっぱい」感を感じるときも…。
何となく、音が押し付けがましい?といった感じなのだが、弱い音も含めて「音が詰まっている」ような印象である。よく言えば「充実感のある音」? もしかすると、抜くところ(緩急の「緩」)があまりないのかも知れない…。
♪ Vadym Kholodenko plays Liszt 12 Transcendental Etudes (Live - COMPLETE)
曲のせいもあると思うのだが、「これでもか!」という感じで音が押し寄せてくるような演奏で、やはり疲れた…(^^;)。
で、気を取り直して?、ラフマニノフのピアノソナタ1番も聴いてみた。この曲はズラータ・チョチエヴァの演奏を聴いて好きになった曲。
♪ Vadym Kholodenko - Rachmaninov Piano Sonata no 1 in D minor op.28
期待したのだが、やはり同じような印象。音楽は聴き手を楽しませてくれなくては…。
…と、かなりの時間を使って(もちろん続けて…ではないです…)聴いてみたのだが、簡単にいうと「私の好みではない」ということになりそうだ。ピアノの弾き方はうまいと思うので、なにかもったいない?という気はするのだが…。
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全く同感!
返信削除最初なんて美しいタッチ、信じられないコントロールの細密な音色と驚き尽くして
聴いていたのだけど、どうも演奏に包まれる幸せ感が現れない、終いに無機質さまで感じだす。こんなに上手い人なのになんで?と思ったら同じように感じた方がいることにまたビックリ
こんばんは ♪ コメントありがとうございます…(^^)♪
返信削除素人が素直に感じたことをそのまま書いているブログなので、こういう感想を戴くととても嬉しいです。
ホロデンコ、音が美しいのに本当にもったいないですよね。でも、最近、ピアニストも成長するということを(当たり前ですが…)実感として知ることが何度かありました。彼も、少し進化しているかも知れませんので、機会があったらまた聴いてみたいと思っています。