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2016年10月4日火曜日

本:久石譲「音楽する日乗」

久石譲さんの『音楽する日乗』という本(2016年8月刊)を読んだ。





「日乗」というのは聞きなれない言葉だが、「日々の記録」とか「日記」という意味らしい。「乗」は記録という意味。

ちなみに、「断腸亭日乗」というのがあって、永井荷風のそれなりに有名な日記のようだ。それはさておき、この本で、ちょっと面白いと思ったことを3点ほど…。


もっと現代の音楽を!

この本で、久石さんは、私が「現代の音楽」についていつも感じていることをズバッと言ってくれている。

「クラシックは古典芸能ではない。過去から現代につながり未来を展望する。そのためには今日の音楽、リアルタイムに作られている『現代の音楽』を出来るだけたくさん聴衆の耳に届ける必要がある。」

「作曲家側にも多くの問題があります。個の世界に入り込み、聴衆や演奏家の事を全く考えていない。独りよがりに加えて演奏が難しいとなれば、取り上げられなくなるのは仕方ないのかもしれません。」


「過去から現代につながり未来を展望」というあたりは、ラウタヴァーラの次の言葉とも重なる考え方だと思う。

「数千年の西洋音楽の歴史全体を、現代の音楽家は一つの領域として捉えるべきだ。…モダニストたちは『過去の伝統からの決別』を主張するが、私には理解できない。私にとって伝統はとても重要で、私自身もその一部であると考えたい。」


また、指揮者はもっと現代の音楽を日常的に取り上げるべきだし、作曲家も独りよがりにならないために演奏に参加して聴衆の反応を知るべきだとも主張している。

作曲家・指揮者である久石譲さんのこういう発言は実に嬉しいと思う。ピアニストにもこういう意識の人がふえるといいのだが…。


ところで、こういう「現代の音楽」の状況は全世界共通かと思っていたのだが、実はそうでもないようだ。

ペンデレツキ、アルヴォ・ペルト、ヘンリク・グレツキなどの音楽はヨーロッパではCDの売り上げも高く、演奏機会もかなり多いそうだ。残念ながら、日本はかなり遅れていると思った方がいいのかも知れない。


音楽の3要素、やはりメロディー!?

音楽の3要素というとメロディー、ハーモニー、リズムであるが、これを座標軸で考えると分りやすい、という話はなるほどと思った。

リズムは時を刻むので時間軸、ハーモニーはそれぞれの瞬間の響きなので空間的に捉えられる。そして、メロディーは「時間軸と空間軸の中で作られたものの記憶装置」と説明してある。

音楽は時間軸と空間軸の上に作られた建築物である」とも…。




この少し前に、視覚情報(空間)と聴覚情報(時間)を統合的に扱うため、脳に「連合野」が発達し、そこで「言葉」が生まれた、という養老孟司さんの話が紹介されている。

これを拡大解釈すると、リズムとハーモニーの交わるところにできたメロディーは、言葉との親和性が非常に高く、したがって人間が理解しやすく覚えやすい、と言えるのではないかと思った。


そしてこれは、現代の音楽を聴くときに何となく感じていたこと、つまり「いいと思う(現代の)音楽からはメロディーが聴こえてくる」という私の感覚とあっている。

馴染みのない和音や複雑なリズムでできている現代の音楽でも、いいなぁと思う音楽にはどこかにメロディーを感じることが多い。

はっきり浮かび上がるメロディーのこともあるし、はっきりとは聴こえないが音楽の流れのなかにあるメロディーのようなものだったりする。


そして、現代音楽の多くが魅力に乏しい理由は、音楽の3要素を捨て去って「脳内の空論」に陥ってしまったことにある、という説明はとても説得力がある。

「多くの現代音楽が脳化社会のように込み入ってしまって、本来メロディーが持つ説得力やリズムの力強さ、心に染み入るハーモニーなどを捨て去ったために、力を失ったことは歴史が証明している。」


音楽と音楽を説明した言葉

久石さんの作曲の方法として面白いことが書いてある。

「作曲する際、はじめは言葉で考え、自分なりにテーマを決めていきます。震災や祈り、鎮魂など…。ある程度理論的に作曲を進めようとすると、言葉で追い詰めていくことになります。でもその段階では現実的な音との整合性はない。それをあるところで現実の音に切り替えないといけないのですが…」

これは、ちょっと意外。作曲家はどちらかというと音のイメージが先にあるものとばかり思っていた。イメージの中に、言葉とか風景とか感覚みたいなものも含まれることもあるのだろうが…。


久石さんの場合、映画音楽とかCMとかの発注元があり、そこで言葉によるリクエストが存在することからそうなっているのだろうか?

「言葉に置き換えたもの(言葉で音楽を説明したもの)は、作曲家が表現したいことなのです。そして現実の音は、それができなかった結果」

…だそうだ。

ライナーノートなどに作曲家自身が長々と解説をしている場合、音楽そのもので表現できなかった可能性が高いということか…(^^;)??



【関連記事】
《読書メモ:耳で考える》(対談:養老孟司、久石譲)


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