ページ

2016年2月9日火曜日

ピアノ演奏は「見た目が9割」?

『演奏する姿は大切』という記事を見つけた。

一言でまとめると、いろんな研究結果から「音楽を『見ながら聴く』場合、見え方は鑑賞者にとても大きな影響を及ぼしている」と言える、という話である。


例えば、

表現された感情(恐れ・喜び・悲しみなど)やその強さ(無表情〜誇張)のかなりの部分は視覚情報(演奏者の動き)で伝わる

女性ヴァイオリニストの演奏は服装によって評価に差が出る(ジーンズよりコンサートドレスの方が評価が高い等)

6秒間の音なし映像を見ただけで、一般聴衆がピアノコンクールの優勝者を当てることができた(音だけでは当たらなかった)

…といった例が紹介されている。

服装などは何となく分かるような気もするが、ホントだろうか?という部分もある…。

それにしても、ピアノコンクールの例はちょっとショックである。事前審査のDVDでは「見た目」にも配慮する必要があるということか?


私自身は、例えば YouTube で映像付きの演奏を聴く(見る)場合でも、音楽の良し悪しや好みかどうかは「音」で判断しているつもりである。もしかすると、手・指の動き(ピアニストの弾き方)は若干影響しているかもしれないが…。

嫌いなのは、わざとらしい手や体の動かし方とか、顔芸のたぐい(一部の日本人ピアニストに見られるような気がする…)である。演奏(音)は大したことないのに、感極まったような顔をされると、それだけで聴く気が失せてしまう。やっぱり「見た目」で判断している…(^^;)。


シューマンも、この記事によると、リストのコンサートでの演奏について、「もしリストが舞台の裏で演奏していれば、詩的なものの大部分は失われてしまうだろう」と言っているそうだ。

まぁ、貴族とかブルジョワ(の令嬢?)が主な聴衆であったリストの時代の演奏というのは、そういうものであったのかもしれない。


ところで、この記事を読んでいて、会社員時代に聞いたことのある「メラビアンの法則」というのを思い出した。

改めて Wikipedia を見てみると、この「法則」とは、

好意・反感などの態度や感情のコミュニケーションにおいて、メッセージの送り手がどちらとも取れるメッセージを送った場合、…受け手が声の調子や身体言語といったものを重視する。

というもの。「どちらとも取れるメッセージ」というのがポイントだ。


ところが、一般に流布しているのは「俗流解釈」で、話し言葉による一般的なコミュニケーションにまで拡大解釈されている。昔、会社の研修などで聞いたのは、もちろんこの「俗流」の方だ。

コミュニケーションにおける伝達力は、見た目(視覚情報)が一番強くて55%程度、続いて口調や速さなどの聴覚情報が38%で、肝心の話の内容(言語情報)は7%でしかない。

…といったものだ。簡単に言うと、話の内容よりも「見た目が一番」あるいは「喋り方のテクニックが重要」ということだ。もちろん、これは大間違いである。

でも、この「俗流解釈」はけっこう有名で、昔のベストセラーに『人は見た目が9割』というものさえあった。


だが、待てよ…。そもそも音楽というのは「どちらとも取れるメッセージ」というか、表現しているものが曖昧なものが多い表現形態なのかも知れない。とくに下手な演奏は…(^^;)??

もしかすると、ピアニストたち(の一部)は、音だけでは「どちらとも取れる…」かも知れないということを分かった上で、いろんな「見た目」を工夫しているのか?

まさかそんなことはないと思うが、これからは演奏を聴くときは目をつぶって聴くことにしようか(冗談です…)。


【おまけ】

『人は見た目が9割』の本のタイトルを確認しているときに、こんな本(↓)を見つけた。こちらの方が役に立つかもしれない…。





  にほんブログ村 クラシックブログ ピアノへ 

0 件のコメント:

コメントを投稿