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2015年7月23日木曜日

ピアノ演奏の基礎、初心に帰る?

いま練習中の、モーツァルトのピアノ・ソナタ第4番 K.282 第1楽章、選曲としては久々の「当たり」かもしれない。

曲の難易度が、今の私の実力レベルにちょうどいいようなのだ。難所らしい難所もなく、技術的には何とかなりそうと思える。曲としても気に入っている。ところが、一方でなかなか弾けるようにならない。

この妙な感じが、ちょっとしたフラストレーションになっている。最近の近況報告(↓)で、技術的な課題を書き出して、その練習方法も少し考えてみた。でも、何か釈然としない。



で、ふと考えてしまったのだ、あまり考えたくないことを…。
つまり…、基礎ができてない!

もともと、先生についてピアノを習ったこともなく、ただ「下手の横好き」で遊び弾きをしてきただけなので、「基礎」などあるわけがないのだ。それでも、「いや! 大人には大人のピアノ練習法があるに違いない!」と一大決心?をして、真面目に練習を開始してはや3年目。

基礎練習も曲の中でやると決めて、ハノンなどの機械的?練習は避けてきた。取り組んだ曲の中で、それぞれの課題(アルペジオとか和音とか装飾音符とか…)をある程度は克服しながら、難所もいくつかは乗り越えながら来たわけだ。しかし…。


ところで、「基礎」というのは一体何なのだろう? それは、幼い頃から時間をかけて「地道にコツコツ」を続けることでしか得られないものなのだろうか?

それは、例えて言えば「歩く」ことに近いものかも知れない。人間は歩くために、いちいち、右足をこのくらいの力で前に出して、この辺に着地して、その間に左足を準備して、…などと考えているわけではない。ほとんど足元を見てもいないし、「歩く」という意識はほとんどない。代わりに、目的地の意識や景色を楽しむ感覚はある。

ピアノでいうと、曲を作っていく意識や音楽を楽しむ意識はあっても、次に2の指でDのキーを押して、その間に左手は和音を弾いて、などとは意識しない状態だ。つまり「自動化」ができている状態。


しかし、分析癖のある私は、やはり「基礎」の中身を知りたいと思うのだ。そして、できれば大人でもそれを比較的簡単に身につける方法を見つけたいと思うのだ。

思いつくままに書いてみる。

・指が鍵盤の配置や幅を覚えている
・正しい?弾き方ができる(重量・脱力…)
・いろんな音型のパッセージが意識せずに弾ける
・粒の揃ったタッチでパッセージを弾くことができる
・指が速く動く(指が回る)
・強弱をコントロールできる
・タッチのコントロールができる
・和音の同時打鍵ができる

まだまだ、たくさんありそうだ。それに、個別の反復練習以外に、とりあえずはいい方法を思いつかない…。


モーツァルトのソナタで悩んでいることの中身をはっきりさせた方が、解決への近道になるかも知れない。「悩み」の中身も書いてみる。

・簡単なパッセージなのに間違える
・ミスタッチをする
・反復練習してもなかなか指が覚えてくれない
・強弱のコントロールができない
 (急な切り替え、自然なクレッシェンド、ディミヌエンド)
・和音の同時打鍵ができない
・軽いタッチで弾けない(音が抜けることも)
・弾き終わった場所から指がスッと離れない
・曲を通して弾けない(途中で止まる)

これも、まだまだありそうだが…。そして、これもなかなか即効的な練習方法がないのかも知れない。「初心に帰って」「地道にコツコツ」なのか?


書きながら、頭に浮かんできた言葉がある。「集中力」とその持続。つまり、技術的な問題だけではないかも知れない。途中で止まるのも「クセ」になっているのかも知れないと思う。

ちょっと長くなってきたので、今日はこの辺で終わりにしたい。なんの解決にもなってないので、また日を改めて考えることにしよう。

一つだけあったヒントは集中力とかクセとか、要は「気持ちの問題」かな? これなら「大人の解決方法」がありそうだ。


お付き合いいただいた皆さん、最後まで読んでいただいてありがとうございました…(^^;)。



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《近況:モーツァルト ピアノソナタ第4番 練習の作戦》


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