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2015年4月28日火曜日

「新即物主義」v.s.「19世紀ロマンティシズム」

いま、『どこまでがドビュッシー?』という本を読んでいる。青柳いづみこさんの、わりと新しい本(2014年10月刊)である。

下の [ 内容紹介 ] にあるように、音楽(作品)というのは、どこまで変えると・手を入れると、その音楽ではなくなるのか、という切り口で音楽を語っている。音楽の本質に関わるようなテーマかもしれない。様々な具体例で分かりやすく書いてあるので、とても面白く読める。

どこまでがドビュッシー?――楽譜の向こう側


[ 内容紹介 ]
音楽というのは、どこまでデフォルメしたらその音楽に聞こえなくなるのか。ピアニストはどこまで楽譜から自由になれるのか。最近新たに見つかったドビュッシーのスケッチを手がかりに、モノ書きピアニストが、作曲家にとって楽譜とは何か、そしてテキストとパフォーマンスの不思議な関係に迫る。


例えば、作曲家の遺稿やスケッチを元に「完成」させた音楽は誰の作品か?、演奏における「改変」はどこまで許されるのか?、といった問題について、実際の作品や演奏に基づいた話が展開される。

まだ読み終わっていないので、この本のメイン・テーマについては読後に「読書メモ」にまとめたいと思っている。が、ちょっと興味を持った話があったので、今日はそれについて少し書いてみたい。


「新即物主義」v.s.「19世紀ロマンティシズム」という話である。本の中では、「10 ノイエ・ザッハリヒカイト」の章に書いてある。

ピアノ演奏における「新即物主義(ノイエ・ザッハリヒカイト)」というのは、簡単に言ってしまえば「楽譜に忠実に」「テンポをきちんと守って」という弾き方を指している。

それは、「19世紀的妖怪」つまり「過度にロマンティックな演奏スタイル」(リストやタールベルクの流れ)に対する反動、あるいは反省から起きたものである。したがって、「新即物主義」の対極は「19世紀ロマンティシズム」ということになる。


『どこまでがドビュッシー?』の中から、それぞれの特徴を書いてある部分を抜き出してみる。

「新即物主義」
  • あっさり、さらっとした演奏
  • リズムをくずすことなく正確なテンポを刻む
  • テキスト(楽譜)重視→楽譜どおり

「19世紀ロマンティシズム」
  • ルバートを多用し、粘る演奏
  • 表情に誇張があり、速度の変化や強弱の差が大きい
  • 楽譜にない音を付け加えたり、演奏効果を狙った技巧を弄する


新即物主義の代表選手として、安川加壽子の師であるラザール・レヴィの名が挙げられている。ロマンティシズムの代表は、レヴィと同門なのに正反対の演奏スタイルをもつアルフレッド・コルトーである。

日本では、ピアノ教育を確立させた井口基成と安川加壽子が、ともに「ノイエ・ザッハリヒカイト」派の門下生(それぞれイーヴ・ナット門下とレヴィ門下)であったため、新即物主義が主流になっているようだ。たしかに「楽譜に忠実に」というはよく聞くフレーズである。


ただ、ピアニストも途中で主義?を変えることもあるようだ。例えば、ミケランジェリ。戦前の演奏はとても「ロマンティシズム」な演奏だったようだ。戦後はガラッと変わって「氷の巨匠」となった。

また、新即物主義派とロマンティシズム派は、相互に批判し合うことも当然あるが、まったく相容れないわけでもなさそうだ。ガチガチの「ザッハリヒ派」のピエール・バルビゼは、「ロマンティシズム派」のサンソン・フランソワの演奏が大好きで、二人は親友でもあったらしい。


いづみこさんの話は、主義の違う二人の合奏の話、コンクールの話、グレン・グールドの話と、興味はつきない。のだが、読んでいて、なんとなく心配にもなってきた。

一つは日本のピアノ教育が「ザッハリヒカイト」の方に偏っているらしいこと。しかも「門下制」であるため、なかなかその「伝統」が断ち切れないらしいこと。ピアノ・コンクールのほとんどが「ザッハリヒカイト」時代(戦後)にスタートしているため、「楽譜に忠実」への偏重・硬直化があるのではないかという心配。

さらには、「ザッハリヒカイト」派で育った日本人ピアニストが「ザッハリヒカイト」的なコンクールで優勝できないという矛盾(?)。なにか大切なものが抜け落ちているのではないかという不安…。


ピアニストにとって、演奏スタイルを確立することは必要なのだろう。しかし、それは頭でっかちの「主義・主張」であってはならないのではないか、と思う。作品や作曲家によって変わるはずだとも思う。

なにより、それは「白か黒か」というような話ではなくて、その間の灰色のグラデーションもありうるわけだし、場合によっては白と黒の斬新な?組み合わせもあるのではないだろうか。


自分自身の好みを考えても、バッハは「ザッハリヒカイト」に適度な「ロマンティシズム」を振りかけて欲しいと思うし、ドビュッシーは基本「ロマンティシズム」でも部分的には「ザッハリヒカイト」で締めて欲しい、と思っている。(図式的に表現すれば、たぶんこんな感じになる)

私自身の主義は、あえて言えば、「音楽は面白くなくちゃ ♪」ということになるのかな…(^^;)。



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