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2014年3月4日火曜日

たまには壮大なことを考えてみる?「音楽と人間と宇宙」

タイトルと紹介文(下記)につられて、『音楽と人間と宇宙』という本を読んでみた。

エミー賞を6度受賞したエレナ・マネスが科学と文化の交差点へと案内する、革新的なノンフィクション科学エッセイ





面白かった! テレビ向けの特集番組をベースにしているので、それぞれのテーマを深掘りしているわけではない。が、非常に幅広い最新の話題が展開されていて、興味深い内容であった。

内容は多岐に渡る(下記)ので、とくに興味をもったところを少しだけ紹介する。

第1部 音楽的な体と脳
音を感じる/音楽が体を演奏する/脳が音楽を演奏する/音楽は遺伝的、生得的な権利か?

第2部 音楽と自己
苦悶と歓喜―人間はどう聴くか/心を曲げる音符たち―音楽は人間を賢くできるか?/音楽は語る/なぜ音楽なのか?

第3部 共鳴する世界
クジラの歌、ゾウのバンド、ダンスする鳥/天球の音楽

第4部 薬としての音楽
痛み、薬―それとも音楽?/次の波?/コンサートホールを超えて


●音楽は本質的に社会的なものである。

音波そのものが、エネルギーとして周り(人の脳にも)に影響を及ぼすし、二つの振り子時計を同期させるような性質を持っている。

人間や動物の発する声は、もともと何らかのコミュニケーションをしようとしている。人が集まるとき、祭りや儀式では同じリズムで踊るなどの行為がある。


●4万年前に、高度な楽器(5つの指穴がついた骨製のフルート)が作られていたという話。

ホール・フェルス洞窟で発見(2009年、コナード)された。言語より先に音楽があったのではないか、という話も、そうかもしれないと思ってしまう。


●脳画像でみると、人間の美しい声による歌を聴いたときよりも、鳥の歌を聴いたときのほうが感情関連領域の活動が強まる、らしい。

これはちょっと不思議な気もするが、「癒し」的な効果などを考えるとうなずける部分もある。いずれにしても、現代人は自然の音をもっと聴くべきかも知れない。


●ヨーヨー・マがボツワナでの体験した話は、考えさせられた。

ヨーヨー・マが「どこどこで 7時半からコンサートを開く」ことを伝えようとしたが、ボツワナの村人は理解できなかったという話。

村人の疑問:「なぜ聴くために待たなければならないのか(なぜ今じゃないの)?」「なぜ聴くためにそこに行く必要があるのか(なぜここじゃないの)?」…

音楽は彼らの生活にしっかりと溶け込んでいるから、演奏会って概念がないんだ。みんなは自然に集って演奏し、何でもかんでも祝うんだ。人生、誕生、収穫、獲物、その他すべてを祝っているんだよ。

「楽譜どおりに演奏する、その音楽をコンサート会場で(集団の中でひとりで)聴く」という、当たり前と思っていた音楽の活動形態が、なんだかとても狭いもののように思えてきた。



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