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2014年2月20日木曜日

「バレンボイム音楽論」:フィナーレ

『バレンボイム音楽論』 読書メモ(7)

  ※目次・紹介は→本「バレンボイム音楽論」:紹介

【フィナーレ】

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●抜き書き(数字はページ番号)

145
…好奇心を生き生きと保つためには現代音楽に絶えず目を配る、あるいは、把握しておくことが必要だと思っている。現代音楽を知ること、そしてそれを演奏することで、過去の名曲に対する理解がいっそう深いものになる。

146
新しい音楽にたいする私の規準―つまりはあらゆる音楽についての基準ということだが―はただひとつ、演奏の際に、曲が続いているあいだじゅう、その曲が他のすべての曲を忘れさせるほど、私の興味や関心の中心となるものでなければならないということである。

148
音楽は道徳的なものでも不道徳なものでもない。音楽にたいする私たちの反応が、私たちの心のなかで音楽を道徳的なものにしたり、不道徳なものにしたりするのである。

161
パワー(強さ)とフォース(力)の違いを理解することが重要である。この違いはヴォリューム(音量)と音のインテンシティ(強さ)の違いに関連している。
音量が小さいほど、よりインテンシティ(強さ)がもとめられ、音量が大きいほど、インテンシティの必要性は小さくなる。

166
…音楽はつねに、対位法と透明性という概念が存在するのである。もし、演奏に聴覚的な透明性が欠けていれば、音楽の一部しか聞き取れず、音楽全体を聞き取ることができなくなる。

168
…ヒトラーが無数の人間をガス室に送ることができたにもかかわらず、そのいっぽうで音楽を聴いて感涙にむせぶことができたという事実は、どう説明すればいいのか?なぜワーグナーはあれほど気高い音楽を作りながら、そのいっぽうで卑しむべき反ユダヤ主義の小論文『音楽のなかのユダヤ人』を書いたりすることができたのか?…私は、音楽というものに対するじゅうぶんな思考が欠けており、ほとんど動物レヴェルの本能的な反応にとどまっているからだと思う。
スピノザは、理性は人類の救いだと信じていた。私たちは人生を見るときと同じような目で音楽を見ることを学ばねばならない。

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●感想など

音量が小さいほど、よりインテンシティ(強さ)がもとめられ」るという話は、ピアノを弾くときの心構えと奏法の両方に対してとても示唆に富んでいる。

可聴性、透明性(明快性)、対位法、構造といった言葉が、いくつかの箇所で繰り返し語られている。これらの考えも、音楽の表現方法や弾き方、音楽のとらえ方・聴き方にとって非常に役に立つ。

最後のコメント、「私たちは人生を見るときと同じような目で音楽を見ることを学ばねばならない」というのは、そうか、と思う反面、音楽にはもう少し楽な気持ちで接したいとも思う。

それとも、人生に対しても、音楽に対するのと同じようにもう少し楽に、楽しんで接するべきだと言っているのか?


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