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2014年2月17日月曜日

「バレンボイム音楽論」:聴くことと聞くこと

『バレンボイム音楽論』 読書メモ(4)

  ※目次・紹介は→本「バレンボイム音楽論」:紹介

【聴くことと聞くこと】

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●抜き書き(数字はページ番号)

40
反復、つまり繰り返しは、聴覚にとっては一種の蓄積であり、したがって、音楽そのもののきわめて重要な要素となる。音楽は時間のなかで進展する(前へ進む)が、聴覚はこの音楽の進行と並行的、同時的に、すでに聞いたものを思い出す…正確には、現在と過去を同時に意識する

フーガはもっとも数学的、直接的、かつ簡潔な方法によって、反復の原理にアプローチする形式である。…主題は、まず…単独で現れる。…この主題が…、発展のさきゆきが不確かなせいで、なんとなく未完成な気がする。…この不確かな感じは、同じ主題の二度目の提示が始まることでようやく解決される

42
フーガが叙事詩的だとすれば、ソナタは演劇的である。

52
音楽を聴くことは本をよむこととは異なる。読書では、文章を読んで自分自身の連想を創りだす。読み手は書かれている文章と自分自身のことさえ考えていればよい。ところが音楽を聴く場合には、それぞれの音に、音響、時間、空間などの物理的な法則が存在するので、そういったものに注意を向けなくてはならない。…(戻れない)…
聴き手は、演奏されている音楽的素材を受け止めるには、集中力を―そして意識さえも―いくらか変える必要がある

60
おそらく聴く力を導き育てることは、個々人の発達にとってだけでなく、社会が、ひいては国政がうまく機能するためにも、私たちの想像をはるかに超える重要性をもつと思われる。

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●感想など

「聴く」ことの分析、それも時間の流れに沿った「聴き手」の状況が分析されている。

音楽はたしかに時間の流れに沿って進むが、一瞬一瞬の音だけではなくて、過去(曲の始まりから直前まで)の聴覚的蓄積を思い出しながら聴いている。

そのことによって、たとえばフーガの最初の主題提示は、(過去の蓄積がないために)なんとなく未完成な不確かな感じがする。その感じは同じ主題の二度目の提示で「解決」される。

音楽には、緊張と緩和とか、不協和音などの未解決状態とその解決とかが使われることが多い。このことは、聴き手にとっても「解決されないものをキープし続ける能力」のようなものが要求されるのかも知れない。そして、それは実生活の中でもたびたび起きることである。(バレンボイムの考え方に影響されているか?)

もうひとつ、なるほどと思ったのは、「フーガが叙事詩的」であるということ。

ロマン派などの曲は、表情をつける、あるいは曲で感情表現をするということが、比較的わかりやすい。ところが、バッハの曲は、宗教曲を別とすれば、とくにピアノ(クラヴィーア)曲は、何をどう表現すればいいのかという悩みがあった。

すべての答えにはならないが、「叙事詩」というアナロジーによって、少しバッハのとらえ方のヒントももらったような気がしている。また、バッハを弾きたくなってきた。


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