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2019年5月29日水曜日

ギレリスの演奏が聴きたくなった本 ♪

『エミール・ギレリス もうひとつのロシア・ピアニズム』という本を読んだ。

「もうひとつのロシア・ピアニズム」という副題に興味を惹かれて読んだのだが、ピアノ奏法的な意味合いの「ピアニズム」ではなく、当時のソビエトで恣意的に神格化されたリヒテルに対する、もう一人のピアニストの真の姿といった本になっている。

読み終わって、ギレリスの演奏を聴いてみたくなった。幸にたくさんの録音が残っている。この本に「ピアノ演奏上、実に最高の業績に属する」と書かれた、グリーグの《抒情小曲集》を YouTube で聴きながら、この記事を書いている。




私自身はそれほど認識していなかったのだが、当時のソビエトでは、最高のピアニストはリヒテルであり、ギレリスは音楽性に乏しい「鋼鉄の指」(単なるヴィルトゥオーゾ)のような言い方をされたらしい。

学生時代にクラシック(オーディオ)ファンだった私にとっては両者ともピアノの巨匠という感覚だったが、そう言われてみれば、日本でもリヒテルの方が有名だったかも…。

ちなみに、1930年代のソビエトには良いヴィルトゥオーゾと悪いヴィルトゥオーゾとがあったらしい。良い技巧性は「ヴィルトゥオーズノスチ」と呼ばれ、悪い方は「ヴィルトゥオーズニーチェストヴァ」と呼ばれたようだ。

ギレリスは後者の代表として非難されたが、そもそもこの二つをどう区別するのか?


この本は、直接ギレリスを知るピアニスト G.B.Gordon(グリゴーリー・ガルドン)によって書かれたものである。伝記としても立派なものであるし、当時のソビエトの音楽界を知るための本としても、また素晴らしいピアニストであったギレリスの音楽を感じさせる本としても優れた書物であると言っていいだろう。

訳者(森松皓子)あとがきにある次のくだりが本書の本質を簡潔に言い当てていると思う。私が読後に感じたギレリス像も「誠実」という言葉がもっともふさわしい。

「ギレリスが音楽家としても人間としても、いかに誠実で、いかに優秀であったかを主題としている」

この本が出版された2007年のロシアでの大きな反響が「両ピアニストの優劣論争に矮小化されたのは残念です」とも述べている。


とても内容豊富な本なので、読後感想文を書くのは難しい。一言で言うなら「ギレリスの音楽に対する誠実さ、人間としての誠実さを感じることができた」ということになる。

そして、これまでちゃんと聴いてこなかったギレリスの演奏を改めて聴いてみよう、と思った。冒頭に書いたグリーグの《抒情小曲集》の前に、今練習中のシューベルトのピアノソナタ第14番を聴いたが、本当に素晴らしいと思った。


以下、読書中に気になった部分を抜き書きしておく。数字はページ番号。


24
「先生(トカチ)は、ギレリス(少年)に主としてスカルラッティ 、メンデルスゾーンといった音色の澄んだ、穏やかな響きを与えて、感情に訴える音楽で子供の知覚に過度の負担を負わせなかったという点で、歓迎すべき先生だった」

35
最初の数ヶ月ギレリスを教えてみてレインバリド教授は、彼のピアニストとしての発達と、その年齢に期待される文化水準との膨大な開きを感じた。

38
そしてもっと大事なことは、レインバリドが、しょっちゅうギレリスと四手で演奏したことだ。彼女はいわゆる音楽家を”創造する”という経験済みの方法を用いた。

340
ネイガウスは…常にギレリスの奏出するピアノの響きに感嘆していた。…「まず彼の驚嘆すべき”黄金の”頭髪のような音。充実感に満ち、豊かで、温かく、しかも奥深い音」…

(ガッケリ:)「彼(ギレリス)はピアノに、美の源としての最高の値打ちを取り戻した。…現代の”軽音楽”の恐ろしいピアノ、入賞者のピアノ、キャリアを積むための野心を満足させるピアノ - ”下落”の諸原因。…」

351
ギレリスの手は、音楽とともに”呼吸”をした。手はちょうど音楽を目で見るように動いた。手と音楽の連携は、断ちがたい。

399
…芸術では、たった一つと決められた”真実”はない。そして、芸術家たちを重要度順に整列させることは、ばかげている。芸術について、そしてその芸術の実現者への私たちのイメージのなかには、時がその変更をもたらす。

オデッサには、ギレリス記念国際ピアニスト・コンクールが創設された。

403
(グリゴーリー・ソコロフ:)「…私は『ギレリスが弾いた』とは語らない、私は『ギレリスは弾いている』という。私は、ギレリス、グールド、シュナーベル、ラフマニノフといった名前を、過去の時制で用いない。これは”ここ”、”今”という感じが、どれほど”強い”感覚であるかを、私は知っているからである…。まさに今ここで、この時点で、これらの人びとと私たちとの、互いに非常に興味深い、驚くべき交流が進行している。」


読んだ本の情報。

『エミール・ギレリス もうひとつのロシア・ピアニズム』
著者:G.B.Gordon 訳:森松皓子
音楽之友社; 四六版 (2011/6/3)
「没後四半世紀をへた今も、音楽史に燦然と輝く天才ピアニスト。時代に翻弄されながらも、世界が認めたエミール・ギレリスの真実。日本版独自の詳細なディスコグラフィ付き。




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