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2016年4月22日金曜日

「音楽家の家」名曲が生まれた場所の写真集

「趣味は読書」というほどの読書家ではないが、昔から本を読むのは好きな方である。ところが、この数年、おそらく1冊も本を買っていない。もしかすると、雑誌のようなものは買ったかも知れないが…。

理由の一つは、とくに定年後、図書館を利用することが多くなったせいだと思う。もう一つの理由は、自分の本棚を整理するたびに、2回以上読む本が驚くほど少ないのに気がついたから…。

図書館を利用するといいこともある。たとえば、自分ではおそらく買わないであろう本を手にすることができる。たとえば、今日ご紹介する『音楽家の家: 名曲が生まれた場所を訪ねて』という本(↓)。




ちょっと大きめサイズの写真集のような本。内容は、23人の音楽家(作曲家)の住んでいた家や部屋の様子が、きれいな写真と文章で紹介されているもの。

疲れたときに、あまり頭を使わずに眺めてみるか…と思って借りてきたものだ。中身に対する興味はあるが、じっくり読んでみようと思うほどのものでもない…。

例えば、私のお気に入り作曲家の一人であるラヴェルが住んでいた家は、モーリス・ラヴェル通り(当時はサン・ローラン通り)5番地の「見晴らし台」と呼ばれていた、それほど立派ではない家(↓)。




ラヴェルの友人の一人によると、「家とまではいかない、下手に切ったカマンベールチーズのひと切れにも似た、ひどい材質でできたちいさなあずま屋のようなもの」だったらしい。たしかに、チーズのひと切れに見えないこともない…。

でも、ラヴェルは、近くのランブイエの森に散歩にも行けること、「見晴らし台(ベルヴェデール)」と呼ばれるにふさわしい、モンフォール・ラモリーと谷の素晴らしい眺望がとても気に入っていたようだ。(上の写真の右ページがその見晴らし)

46歳以降はこの家で、多くの名作を生むことになる。「子どもと魔法」「ピアノとヴァイオリンのためのソナタ」「ボレロ」や2つのピアノ協奏曲…などなど。

そう思って写真を見ていくと、少しだけラヴェルに近づいた気持ちになることができる(気がする)…♪


こんな(↓)豪華な部屋で作曲していた人もいる。




この「仕事部屋」には、プレイエル製のマホガニーのピアノが2台、グランドとアップライトとが置いてある。こんな部屋で作曲すればいい曲が書けそうだ…(誰でもというわけにはいかないだろうが…)。

この部屋の主は、フランシス・プーランク。家も、葡萄畑を見下ろす大きな屋敷である。羨ましい〜(^^;)。


ところで、この本には23人の作曲家が登場するのだが、その選び方がよく分からない。

ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルト、ショパンあたりはいいとして、オーレ・ブルって誰? ジュール・マスネ、カール・ニールセン、フランツ・レハール…、名前は聞いたことがあるような…?

ちなみに、オーレ・ブル(Ole Borneman Bull、1810〜1880)は、「ノルウェーのヴァイオリニストならびに作曲家。『ノルウェー初の国際的スター』と呼ばれる。新旧両大陸を股にかけて波瀾万丈の生涯を送り、ヘンリック・イプセンの戯曲『ペール・ギュント』の主人公のモデルにもなった」人らしいが、その作品の多くは現存していないようだ。

「セーテルの娘の日曜日(The Herd-girls' Sunday)」という歌曲が最も有名な作品で、弦楽合奏をはじめ沢山の編曲があるらしい。(以上、Wikipediaより)

マスネは「タイスの瞑想曲」、レハールはワルツ「金と銀」か…。ニールセンの代表曲は…?

まぁ、今回は作曲家のお勉強ではないのでいいとするか…(^^;)。


著者は3人いて、ジェラール・ジュファンという、1934年パリ生まれの音楽学者、作家、クラシック音楽プロデューサー。あとの2人(クリスティーヌ・バスタンとジャック・エヴラール)は、美術・建築・デザイン関係の人のようだ。23人の音楽家(の家)の選択には、建築的な要素もあったのかもしれない。



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