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2015年6月19日金曜日

音楽コンクールほど馬鹿げたものはない(ドビュッシーが語る)

ドビュッシーの曲(「ピアノのために」より〈サラバンド〉)を練習していることもあり、たまたま図書館で見つけた『音楽のために―ドビュッシー評論集』という本を読んでみた。




「評論集」とあるが、ドビュッシーが当時の音楽雑誌に書いたコラム記事などが主な内容なので、あまり読みやすい本ではない。ただ、最後の方にある「インタビュー」記事は読みやすくて面白い。

当時の音楽事情を知らないと分かりにくいところもある。しかも、フランス人特有なのかドビュッシーの性格なのか、少し皮肉っぽい表現でキツイことを遠回しにを言う、みたいな文章が多い。同じ業界人として、あまりストレートに言えないような部分もあったのかもしれない。

そんな中から、ちょっと面白かったことをいくつか抜き出してみようと思う。今日は少し軽めの話題。ドビュッシーがローマ賞など、音楽コンクールに批判的だったこと。


「ローマ賞」(Prix de Rome)というのは、芸術を専攻する学生に対してフランス国家が授与した奨学金付留学制度である。1663年、ルイ14世によって創設され、1968年廃止されるまで継続した。19世紀には若手芸術家の登竜門として機能した。(Wikipediaより)

ドビュッシー自身も、22歳でローマ大賞を受賞している。にもかかわらず、ローマ賞に対する話ぶりは相当に批判的である。こんな(↓)感じ…。


ローマ賞をとったか、とっていないかで、才能のあるなしを計ったのだ。…ところが…新しいフランス学派の首領たるサン=サーンスさんは、ローマ賞をとっていないではないか。…この名誉の配当法には、どこやら当てにならぬものがありそう…。

この作曲コンクールの判定は「カンタータ」と呼ばれる作品を対象としている。「カンタータ」というのは、オペラのいちばん通俗的なところを引いた雑種の作品であって、オペラになり損ねたオペラだ。…こんな仕事を対象にして判断を下すのはとても無理なように、私は思う。

あのローマ賞という、誰知らぬ人もない伝統に対して、私は敵意をおぼえます。人間のもっているいちばんつまらない部分、すなわち虚栄心というものに、ローマ賞によってつけこむのですよ。のみならず、ローマ賞は全然何の役にも立ちはしません。


これではまったくローマ賞も形無しである。5回も必死に挑戦してついに受賞することのなかったラヴェルが気の毒に思えてくる。


コンセルヴァトワール(フランス国立音楽演劇学校)の教育顧問官に任命されたときのインタビューでも、コンクール漬けの音楽学校教育を批判している。


和声学の教育は、まったく欠陥だらけのように私は思うのです。はっきりいって、和声学の教室で、私はあんまりたいしたことは勉強しませんでした。(ドビュッシー自身もかつて生徒だった)

コンセルヴァトワールでやっている徒労な、いやそれどころか有害なこと…は、生徒に褒美を与えるやり方(コンクールという形式)です。…非常によく勉強している生徒があるとします。コンクールの日に調子が悪ければもうだめです。コンクールほど馬鹿げたものはありません。

私の本心をいうと、一刻も早くコンセルヴァトワールなど出てしまうのが先決問題です。自分の個性をさぐり発見するには、それがいちばんよろしい。


当時の音楽界にいろんな問題意識をもちながら、一方で自分自身の音楽を追求したドビュッシーの姿が想像されて、ちょっと面白い。


ショパン・コンクール、チャイコフスキー・コンクール等々と、コンクール花盛りの現代の状況を見たら、ドビュッシー先生はなんと仰るのだろうか…?

少し長くなったので、ドビュッシーが音楽について語った部分は、明日にでも書いてみようと思う。



【関連記事】
《読書メモ『音楽のために ー ドビュッシー評論集』》


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