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2014年1月17日金曜日

セロリと「いい音楽」

一昨日「ためしてガッテン」(NHKテレビ)でセロリの話をやっていた。

セロリは大好き・大嫌いがはっきりした食べ物である。で、好き・嫌いを決めるのが脳の「扁桃体」で、「大」(程度)を決めるのが「網様体」だそうである。好き・嫌いは「経験や学習」で決まる、とのこと。


何気なく見ていて、私の頭の中で「音楽の好き・嫌い」→「いい音楽とは?」に結びついてしまった。最近読んだ本のあちこちにも連想が飛んでいったのである。連想したものを羅列してみると…。


・音楽を理解し感じるには、聴き手にも一定の(音楽・芸術)リテラシーのようなものが必要とされる

・それまでの経験(音楽もそれ以外も)が長期記憶に貯まっていて、それがあるとき外部からの刺激によってあふれ出てくる(※作曲についての話だったが、聴き手にも当てはまると思う)

・小さいときから本物を見せていないから、そういうものを受け止める感覚が育たない…

・あらかじめ捉えられたイメージ、感覚、…音楽を感じとる内部聴覚、(審美的・知的な)理解、これらすべてが演奏となるのです

・私たちの頭脳にも、音楽の詩的、絵画的、宗教的、哲学的、道徳的な解釈を、音や演奏に変換するような働きがあるのではないか

・いい演奏というのは聴き手を芸術家に変える(芸術的に成長させる)


で、思ったことをやや図式的にまとめてみると…。

演奏者の経験や学習によって、表現したい内容(音楽的・哲学的・詩的…)とその内容に合致する音のイメージが作り上げられる。

同じように、聴き手側にも経験や学習によって、音楽を含む好き・嫌いや価値観と音に対するイメージが作られている。

それが、「演奏・音」を通して、演奏者から聴き手にうまく伝わって、両者の「音⇔イメージ」が合っていれば、「いいなぁ!」となる。(のではないか?)


いやぁ、セロリの話から小難しい話になってしまった。

要は、音楽の好みも経験によって形作られていて、その好みをさらに拡大してくれるような音楽に感動する、ということかな…。そして「いい音楽」を聴くことで、聴き手も成長するということなんだと思う。


ちなみに、セロリは好き(大好きではない)です…(^^;)。



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